60年以上の老舗豆腐店が岐路に「もう一度踏んばる姿を見せる」被災地・輪島市で生きる経営者の決断
北陸放送
今回の能登半島地震では多くの店舗や事業所が被災し、事業継続をどうするのか、経営者が岐路に立たされています。「再建」か、それとも「廃業」か。葛藤を抱えながらも、営業再開に向け前を向く輪島市の老舗豆腐店を取材しました。 【写真を見る】60年以上の老舗豆腐店が岐路に「もう一度踏んばる姿を見せる」被災地・輪島市で生きる経営者の決断 輪島市の山あいにある、町野町。先月1日の地震では、市街地や能登町へ続く道ががれきや土砂で塞がり、集落は一時孤立状態となりました。 「基礎の部分が壊れて扉が開かないんですけど…」 この町で60年以上続く、老舗の豆腐店「エステフーズ谷内」。工場の倒壊は免れたものの、豆腐を作るための機械のほとんどがなぎ倒されています。 谷内孝行さん 「地震で帰って来れず、その間中にあった物は痛んでしまった」「油が跳ねてベタベタだ…断水で洗えないからな」 3代目の谷内孝行さん。元日の地震当時は家族で金沢を訪れていて、自宅に戻って来られたのは発災から6日目のことでした。 谷内孝行さん 「生まれ育った町だし、住んでいる人の顔も分かるので。その人たちがどういう思いでその時過ごしているのかと考えると、胸が締めつけられる思いだった。輪島に帰ったら工場は潰れているだろうと…潰れていれば『廃業かな』と思っていた」 谷内さんの豆腐店のトレードマークは、ブルーの「移動販売車」。奥能登地域をくまなくまわる昔ながらの行商スタイルでの売り上げは全体のおよそ6割に上ります。 常連客(2022年当時) 「だいたい毎週買ってますよ。車はないしスーパーまで行けないから、来るの待ってる。豆腐なかったら、生きていけないよ」 「谷内さんのゴマ豆腐、美味しいですよ。大好きなんです」 思い入れのある町並みは、地震ですっかり変わり果てた姿に。工場で働くおよそ10人の従業員のうち、8人は2次避難などで輪島市を離れ、谷内さん一家も、現在は金沢市の親戚の家に身を寄せています(1月末時点)。さらに、この春3年生になる小学生の長女は、金沢の学校に転校させることに決めました。こうした状況で、店の営業再開は当面は叶わないと谷内さんはため息をもらします。