「地球上にあるものは何でも着られる」富永愛が尊敬するトップモデルが語る「着る」ということ
ファッションの街・パリでコレクション・モデルとしてデビューし、一シーズンに十数件のショーを掛け持ちするなど、文字通りのトップモデルとして活躍した山口小夜子。 【写真で見る】山口小夜子が語る「服で“自分らしさ”を表現するコツ」 モデル・俳優の冨永愛は、もっとも尊敬する存在と公言する。マツコ・デラックスは美の化身と絶賛。 亡くなって15年以上が経つが、いまも多くの女性がそのファッションやメイクに憧れ、模倣する。東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展覧会(2015年)には5万6000人もの人が来場した。 山口小夜子は、印象的な言葉を数多く残した人でもあった。 生前に残した多くのインタビューを再編集した新刊『この三日月の夜に』から、圧倒的に美しい写真と「天につながる」言葉を抜粋して紹介する。 美しい身のこなしの基本は 美しい姿勢から 美しい身のこなしだといわれるためには何が必要なのでしょうか。 私は、それはまず正しい姿勢だと思っています。空手の型にしても太極拳にしても、あるいはバレエの基本にしても、共通していえることは“正確な動きは美しい”ということです。 体全体の緊張と弛緩がはっきりして重心が安定し、型が決まっているとき(太極拳では虚実を分けるともいいます)、そのときは体のどこにも無理がなく、精神的にもリラックスしていながら引き締まっています。そのときが、見た目にもいちばん美しい状態であります。正しい姿勢、正確で無駄のない動き、それが美しい身のこなしの基本だということです。 それに加えて、私は、勘の鋭さも必要なことではないかなと思っています。 太極拳の動きの中に倒捲肱(ダオジュアンゴン)という後ろにさがっていく一連の動作があります。それは、ただ無意識にさがるのではなく、足のつま先で後ろを探りながらそっと下ろすのだと教わりました。もしかしたら後ろに何か障害物があるかもしれない、地面に大きな穴があいているかもしれない、不注意に足を下ろしたら体勢が崩れてしまう、そんな意識でさがるのだということなのです。そうやって自分の身ひとつが占めている位置と、身のまわりへ常に気を配っていると、いろいろな場合にすばやく身を処すことができるものです。 そのときどう動けば最も有効なのか、美しいのかが、太極拳や空手の型を習うことでとっさに判断できるようになったと思います。 物や人への思いやりがしぐさにあらわれ、精神の緊張感が身のこなしにあらわれるといえるのではないでしょうか。 小夜子の魅力学 1983年3月13日 それに加えて、私は、勘の鋭さも必要なことではないかなと思っています。 太極拳の動きの中に倒捲肱(ダオジュアンゴン)という後ろにさがっていく一連の動作があります。それは、ただ無意識にさがるのではなく、足のつま先で後ろを探りながらそっと下ろすのだと教わりました。もしかしたら後ろに何か障害物があるかもしれない、地面に大きな穴があいているかもしれない、不注意に足を下ろしたら体勢が崩れてしまう、そんな意識でさがるのだということなのです。そうやって自分の身ひとつが占めている位置と、身のまわりへ常に気を配っていると、いろいろな場合にすばやく身を処すことができるものです。 そのときどう動けば最も有効なのか、美しいのかが、太極拳や空手の型を習うことでとっさに判断できるようになったと思います。 物や人への思いやりがしぐさにあらわれ、精神の緊張感が身のこなしにあらわれるといえるのではないでしょうか。 小夜子の魅力学 1983年3月13 地球上にあるものなら 何でも着られる 「着る」ということを考えるなら、私は地球上にあるものなら何でも着られるとおもう。光でも木でも飛行機でも壁でもビルでもテレビでも電気でも黒板でも着れるという自信がある。私はあらゆるものを着なくてはいけないんだとおもっている。 あらゆるものを着るということは、その全体を身につけるということではないの。木なら木が、壁なら壁がもっている何かを私に近づけて着ること。 写真集「小夜子」 1984年9月23日 ファッションってなんでも 取り入れられるんじゃないかな たとえば窓を着なさいと言われれば窓も着るだろうし、机だって着ようと思えば着れるし、空気でも風でもね、というぐらい、ファッションってなんでも取り入れられるんじゃないかなと。 着れないものはないですよ。 土だって着れるでしょう。 朝日ジャーナル 1985年2月1日号 おすすめ記事<トップモデル・山口小夜子が語る「ヘアアレンジ&アクセサリーで“自分らしさ”を表現するコツ」>
山口 小夜子(モデル)