なぜ、近鉄元左腕エース小野和義は戦力外から同リーグ“ライバル球団”西武移籍したのか?【逆転野球人生】
あえて強力投手陣を擁する西武へ
だからこそ、28歳にしてあえて12球団屈指の安定度を誇る西武投手陣に飛び込んだ。94年5月15日、古巣・近鉄戦に先発するも、5回途中3失点で勝ち負けつかず。「なんであんなに勝ちを急ぎ過ぎたんだろう。まあ負けないでよかった」と小野は悔やんだが、ベンチの森監督もこの試合を「危うい状態とわかりながら5回だから勝利投手にさせてやりたくて続投させた」と週べの自身の連載「心に刃をのせて」の中で振り返っている。 森監督は「一度死んだ人間は強いということや」とその後も小野を先発で起用し、8月17日のダイエー戦ではなんと169球を投げ抜き、1954日ぶりの完封勝利。94年はV5を達成したチームにおいて7勝を挙げ、巨人との日本シリーズ第3戦にも先発。30年ぶりのナイター開催となり、底冷えのする西武球場で8回1失点(自責点0)と意地を見せた。
プロ14年目の97年開幕直後には金村義明との交換トレードで中日へ。「ボロボロになるまで投げ抜く」と名古屋の地に向かう傷だらけのサウスポー。現役ラストイヤーの97年は球速も落ち、ウエスタン・リーグのダイエー戦で3回10失点したこともあった。 通算284試合、82勝78敗4セーブ、防御率4.03。早熟のサウスポーの全盛期は確かに短かった。だが、度重なる故障から復活したあとの小野の投球には、一種の切実さがあったのも事実だ。それは、腕一本で生きるプロの「凄味」として見る者の心に刺さった。故障後の心境の変化を小野自身はこう語っている。 「まあ、格好よく言えば、『きょうという日に悔いを残したくない』というふうに、思うようになりましたね。何て言うか、こう、ホッと出来る日は一年で一日、シーズンが終わった次の日、それぐらいの気持ちでいたいんですよ」 文=中溝康隆 写真=BBM
週刊ベースボール