モテ男・火野正平さんの持論 仕事と女性の“どっち”ではなく…「一番いい仕事と一番悪い女でも女を取る」
◇俳優・火野正平さん死去 火野正平さんは1971年に一般女性と結婚し、1男1女をもうけた後、家を飛び出し、女優の新藤恵美、小鹿みき、歌手の西川峰子らと浮名を流した。 【写真】「希代のプレーボーイ」といわれた当時の火野正平さん 「“一番いい仕事と一番いい女のどっちを取る”なんてよく話すけど、俺は一番いい仕事と一番悪い女でも女を取る」というのが持論。「希代のモテ男」という異名が定着した70年代後半から80年代にかけては熱愛が発覚する度に「何番目の愛人」と報道されるようになった。81年9月に交際が明るみになった西川は「7番目の愛人」と報じられた。 女性遍歴を重ねながら神奈川県鎌倉市で同居した女性との間に1女、東京都品川区で同居した女性との間に2女をもうけている。