和本の歴史:『源氏物語』が誕生した平安時代から出版文化が花開いた江戸時代まで
消えゆく江戸の本屋
1868年、江戸幕府が終えんを迎えると、幕臣や大名たちが大量の本を放出し、古本の価格は暴落した。それに目をつけたのが、幕末から明治初期に日本に滞在した日本通の外国人たちだった。英国人外交官・通訳のアーネスト・サトウや東京帝国大学で教鞭を取ったバジル・ホール・チェンバレンをはじめ、古典籍に魅了された外交官や「お雇い外国人」が、膨大な量を購入した。 明治政府は法律によって、古本を古着や質屋などと同じく「古物」に分類し、新本と古本を分離する。また、出版は内務省への届け出制となり、板株の発行はなくなった。「ガラパゴス」的な進化を遂げた本屋業界は変容を余儀なくされることになる。 「新本は内務省、古本は警察に届けを出す制度になりました。手続きを踏めば、両分野で商売はできました。しかし徐々に政府は出版の検閲を強化し、警察は盗難本の売買を警戒して、古本取引の取り締まりを強化します。新本、古本の兼業は難しくなりました」 「活版印刷が普及するにつれ、書物の形態も和装から洋装、和紙から洋紙が主流となっていきました。明治20年(1887)までに、木版の和本は激減して洋本の活字本が圧倒的に多くなり、江戸時代から続いてきた本屋はほとんどがやめてしまいました」 学校の教科書や雑誌の全国的な流通網も確立し、出版、新本販売、取次、古本屋が別々に存在するようになり、現在に至る。 「生き残り戦略として、今の古本屋は専門化しています。神保町には現在130軒の古書店が集まり、古典籍から近代文芸、映画、マンガ、スポーツ関連など、図書館のセクションごとの棚のように、それぞれが分野ごとに特化しているのです。ある意味で街全体が大きな図書館です」 橋口氏は、和本の歴史には日本人の「本へのこだわり」が凝縮されていると言う。 「例えば、『源氏物語』は、紫式部がみんなに読んでほしいという熱い思いで丁寧に紙を選び冊子に仕立てました。読みたい人たちがそれを写し取ることで広まり、江戸時代には古典として愛され、美しい装丁の写本や挿絵入りの木版版が作られました。一方で、発想豊かな草紙が人気を博し、その中には、今のマンガに近い本もありました。今日、読書離れが進んだといわれますが、スマホで電子本を読むのも新しい読書の形だし、すぐ処分する本もあれば、手元に長く置きたい本もある。それは今も昔も同じでしょう。千年以上続いてきた日本人の本好きは、本質的に変わらないと確信しています」
【Profile】
板倉 君枝(ニッポンドットコム) 出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。