日本経済、本当は世界何位?――インフレで膨らんだ世界と、デフレで縮んだ日本
この頃の日本では、GDPでドイツに抜かれたとか、今年はインドに抜かれるとか、やる気がなくなるニュースが相次ぐ。 【写真】世界を主導することなく終わる中国・インドの成長の限界とその内幕 日本では、これまでの十八番、製造業が随分海外に流出してしまったので、その分、国内での力は確かに落ちた。しかも、欧米諸国が2008年リーマン危機以降、インフレで、価格水準が約2倍の上げ底になっている(賃金も上がっている)のに対して、日本は価格も賃金もついこの前まで超安定。欧米との通貨レートは基本的に変わっていないので、日本経済は名目額ではインフレ諸国に大きな差をつけられた。 つまり、日本の地位低下は数字上の話しで、実際の生活水準はむしろ上がっている。20年前に比べれば、新築の住宅の水準など随分上がった。昨年12月は270万人強と、空前の数の外国人観光客が来日したが、これは日本が居心地の良い社会であることも関係している。
リーマン後の利下げ後れ、円高、製造業流出、デフレ
日本は、1985年のプラザ合意後の円高で輸出の増加を止められ、1991年のバブル崩壊で内需も大きく失った。以後、日本経済はほぼ万年危機で、金利は低水準に貼り付いたまま。短期プライムレートは1990年に8%だったのが、1993年には2.4%、95年には2.0%、リーマン危機直前には1.8%にまで落ちていた。 2008年9月リーマン危機で、米欧の中銀は協調して敏速な利下げに出る。米連銀は政策金利を2%から1.5%に下げ、半月後の10月31日には1%に下げる。12月16日には実質ゼロの水準に下げた。日本では、短期プライムレートは2009年1月になっても1,475%あり、米国に比べて金利水準が高くなる。これで円高になり、2008年には1ドル100円ほどだったのが、2013年には80円を割る。これで製造業を初め、日本の企業は海外への流出度を大きく高めた。 リーマン危機で日本企業への海外からの注文はぴたりと止まって、日本のGDPはこの時、円ベースで約8.3%(2007年から2009年にかけて)縮小している。製造業の海外への流出で、GDPは更に縮小した。 2013年、安倍新政権の下で始まった異次元の金融緩和で日銀は1年分のGDPに近い国債を買い込む。19世紀初めナポレオン戦争の際のイングランド銀行、第2次大戦時、米連銀による国債買い入れのマグニチュードに近い。平時には異例のことだ。この異次元緩和で金利はマイナス水準となり、円は「下がって」(当時にしてみれば)、1ドル110円と120円の間を推移するようになる。