ついに「農協崩壊」がはじまった…農林中金「1兆5000億円の巨大赤字」報道が示す"JAと農業"の歪んだ関係
■農協だけに認められた准組合員 農協の正組合員は、農業者である。農業者のための協同組合だから、当然である。しかし、農協には、地域の住民であれば誰でもなれる准組合員という独自の制度がある。 准組合員は、正組合員と異なり農協の意思決定には参加できないが、農協の信用事業や共済事業などを利用することができる。JA農協の前身だった産業組合は、農業に従事しない地主を含め地域の住民を組合員にしていた。しかし、農協法を作る際、GHQは地主を排除するため、組合員資格を“農民”とすることにこだわった。 このため、元の産業組合のように、地域の住民であれば誰でも農協を利用できるようにするため、他の協同組合にない准組合員という制度を作ったのである。利用者がコントロールするという協同組合原則からは完全に逸脱するものだが、歴史的な経緯から、やむを得ず、例外的に認められた制度だった。 ■政府資金を運用して大儲け 戦後JAバンクは、食糧管理制度の政府買い入れ制度の下、政府から受け取ったコメ代金をコール市場で運用して大きな利益を得た。 さらに、肥料メーカーには、独占禁止法の適用除外を認めた「肥料価格安定臨時措置法」によって1954年から1986年までカルテル価格が認められた。本来の趣旨は、国際市場で価格競争をするため安くなる輸出向け肥料の損失を、国内向け価格を上げて補てんすることがないようにするというものだった。 しかし、制度の運用結果は、正反対のものとなった。1954年当初は輸出向け価格と同水準であった硫安の国内向け価格は、1986年には輸出向け価格の3倍にまでなった。この法律は5年間の時限立法であったが、制度の継続・延長を繰り返し要望したのは、肥料産業というより、肥料販売の大きなシェアを持つ農協だった。
■預金に回る「高いコメ代金」 高い価格を払うのは、農家だ。ところが、政府が農協を通じて農家からコメを買い入れていた食管制度の時代、肥料や農薬、農業機械などの生産資材価格は、政府が買い入れる際の価格(生産者米価)に満額盛り込まれた。農協が農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価の算定方式によって、制度化されていた。 肥料などの農業資材を農家に高く販売すると、米価も上がる。食管制度の下で米価を高くすると、農家にとってヤミに流すうまみが薄れ、農協を通じて政府に売り渡す量が増える。このため、農協のコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加する。農協は、農家への資材の販売、農家の生産物の販売という両面で、手数料収入を稼いだ。 高いコメ代金はJAバンクに預金される。また、農林中金は、高い肥料価格を保証された肥料産業へ融資した。1956年から10年間で、農林中金から肥料産業への融資額は13.5倍に増大し、農協の肥料販売シェアは、1955年の66%から03年には90%まで増加した。 ■農業の非効率化と縮小が進んだワケ 米価引き上げで、コストの高い零細な兼業農家もコメ産業に滞留した。 酪農家の84%が農業で生計を維持している主業農家であるのに対し、コメ農家の74%は副業農家で、主業農家は8%しかいない。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。農家全体でみると、多数の米農家の存在を反映して、2003年当時で農業所得に比べ兼業所得は4倍、年金収入は2倍である。これらは、JAバンクの口座に預金された。 また、地価高騰による宅地等への巨額の農地転用利益もJAバンクに預金された。農地面積は1961年に609万haに達し、その後公共事業などで約160万haを新たに造成した。770万haほどあるはずなのに、現在は430万haしかない。食料安全保障に最も重要なものは農地資源である。日本国民は、造成した面積の倍以上、現在の水田面積240万haを凌駕する340万haを、半分は転用、半分は耕作放棄で喪失した。160万haを転用したとすれば、農家は少なくとも200兆円を超える転用利益を得たことになる。