スカートまくりCMでも男を魅了、45歳となった連ドラ&CM女王の衰えぬ矢田亜希子の美魔女ぶり
さらに「矢田の事務所はこれまで結婚に強く反対してきたが、彼女が押尾に夢中で言うことを聞かない。(中略)サジを投げていたという感じです(芸能プロダクション関係者)」(アサヒ芸能’06年11月30日号)という周囲の反対を押し切って、’06年11月13日に都内の区役所に婚姻届けを提出し結婚。当時は美男美女のビッグカップルともてはやす声も聞こえたが……。 結婚後の二人はロサンゼルスへ。ここで矢田はしばらく仕事を休み「自転車を買って、サンタモニカを夫婦でサイクリングするのが日課でね。散歩がてらウォーキングしたり、毎日夕陽を見たり。生活を楽しんでいましたね」(CLASSY’09年3月号)と当初は結婚生活も順調だったようだが、後年には「一緒に住んだのは3ヵ月だけ。結婚後すぐ、二人で渡米し、ビザの関係もあり、3ヵ月ほどで私だけが日本に戻ってきて、その後は日本と海外でそれぞれの生活を送っていましたから」(FRIDAY’10年5月14・21合併号)とコメントしているなど、結婚生活は最初からうまくいかないようだった。 ◆“押尾事件”で大ダメージも復帰後は仕事が途切れず その後はハリウッドデビューを目論むもなかなか結果が出ず、かといって仕事にも積極的でない押尾の態度にしびれをきらしたのか、’09年に『ヴォイス~命なき者の声~』(フジテレビ系)で、約3年ぶりとなる連続ドラマに復帰。この頃には押尾の女性問題などもあり、「離婚届はずっと前からもっていました。でも、最終的に離婚を決意したのは、昨年(’09年※編集部註)の5月頃です」(同)と冷え切った状態だったところ、’09年8月2日に“あの事件”が起きる。六本木ヒルズのマンションの一室で、押尾が銀座ホステスと合成麻薬MDMAを共に服用してホステスが死亡。押尾は翌8月3日に麻薬取締法違反の容疑で逮捕、さらにホステスを死なせた保護責任者遺棄致死罪でも逮捕され、懲役2年6ヵ月の実刑判決を受ける。 その後に離婚を発表し、心身ともに大きなダメージを負った矢田の支えとなったのは、’07年11月に誕生した長男だ。「息子を産んだ瞬間、ああ、こうやって母になれるんだ!(中略)ああ、もうこれからは私の人生の主役は私ではないのだ、ということを悟った感じです」(週刊文春’09年1月15日号)、「今まで自分中心だったものが、自分のことは二の次三の次。なんでも自分のことは後回しです。(中略)自分よりかけがえのないもの、守るべきものができたことで、私自身も強くなれた気がします」(CLASSY.’09年3月号)といい、押尾学の負のイメージを払拭するかのように、離婚が成立した9ヵ月後に『刑事・鳴沢了~史上最悪の24時間~』(フジテレビ系)へ出演したことを皮切りに、『逃亡弁護士』(関西テレビ系)などに出演。以降も地上波での主演こそ減少したものの、シングルマザーとして子育てをしつつ、それまでに培った演技力で数々のドラマの脇を固め、その存在感を示した。 そして’24年1月スタートの『ナースの婚活』では久しぶりの主演に抜擢。約30年のキャリアが見せる演技力はもちろん、ドラマやインスタグラムなどで披露する抜群のスタイルにも注目が集まり、45歳となった今でもその美貌は健在であることを示している。 キャリアの途中で大きな傷を負った矢田だが、それを乗り越えて完全復活。これまでにも増して輝きを放とうとしている今、時代が再び矢田を求め始めている。 文:高橋ダイスケ
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