「日本の原風景が集約された場所」 記念館焼失の永井豪が語った故郷・輪島への思いと未来への提言
能登大地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市。地震後に発生した大規模火災では同市出身の漫画家、永井豪氏(78)の業績をたたえる「永井豪記念館」も焼失した。悲しみに暮れる巨匠に、故郷への思いと復興に向けての希望を聞いた。 【写真を見る】建物全体が黒焦げに… 被災した「永井豪記念館」 ***
永井氏は「デビルマン」や「キューティーハニー」などの作者として、世界的にその名を轟かせている。東京都に引っ越す6歳までの幼少期を過ごした輪島市の思い出を聞くと、 「輪島の街のすぐ前には海が広がり、すぐ後ろには大きな山がそびえています。海も山もすべてがすぐそこにあるんです。日本の原風景が一カ所に集約されている貴重な場所だと思います」 巨匠の感性を育んだ美しき故郷での暮らしは、 「“朝市通り”の魚屋に寄るのが好きでね。四角くていかついホウボウの顔を見て“面白いな”なんて感じたことを鮮明に覚えています。夏になれば家の庭から出てくるセミの幼虫を捕まえる。冬になれば軒先に1メートルも垂れ下がったつららを折ってきてチャンバラをする。つららって体に当たるとパーンッと弾けて粉々になるのが面白いんです」
「記念館の再建よりも街の復旧、復興」
朝市通りとは輪島市の中心部を貫く商店街。そこで開かれる朝市は平安時代から1200年の歴史を誇る「日本三大朝市」の一つだ。永井豪記念館はその朝市通りにあったが、このたびの地震による火災で一帯と共に焼失してしまった。 「記念館が焼けたのは悲しいことですが、それよりもまずは街の復旧と復興のほうが大事です。輪島が元気を取り戻した時に、また記念館が必要だと言ってくださるのであれば、再建はそこから手掛ければいいと考えています。だから、今はまだ焼失の状況をこちらからお聞きするようなこともしていません。皆様が辛い日々を過ごされている中、少しでも迷惑をかけてはいけないからです」
新しい街づくり
1月25日、展示棟の耐火対策により記念館が管理する永井氏の原画や原稿、フィギュアなどが焼けずに現存していたことが確認された。これは輪島市の復旧・復興に向けて、一筋の光が差し込んだかのような象徴的な出来事だった。 「復興にあたって個人的には、未来に向けた新しい街づくりをしていただけたらうれしいです。能登半島は日本海に突き出ており、昔は海外から人が流れ着いた土地だったのではと思っています。輪島塗という素晴らしい工芸品が存在するのも、かつては輪島が海外から最先端の技術が伝わってくる場所だったからではないでしょうか」 永井氏はちょうどこの1月24日、輪島市と石川県に計2千万円を寄付すると発表したばかりだった。今後、どのように復旧・復興と関わっていくのか。 「今はまだ具体的なアイデアは固まっていませんが、被災された方々の“前に向かって進もう”という気持ちにご協力できることがあればと思っています。今後は、輪島がもういちど活気に溢れた街になってもらえるような方法を提言していけたら、と思います」 コロナ禍の前には年間80万人もの観光客が訪れ、インバウンドも増え続けていた輪島市。再び輝きを取り戻し、さらなる発展を遂げてほしいと切に願わずにはいられない。
「週刊新潮」2024年2月8日号 掲載
新潮社