珠洲の自主避難所閉鎖 市内最後、馬緤町「自然休養村センター」 住民愛着、笑顔で解散
●12日間孤立、最大60人滞在 能登半島地震の発生後、住民が運営し続けた珠洲市馬緤(まつなぎ)町の自主避難所が22日、閉鎖した。最大で約60人が身を寄せた「同市自然休養村センター」。地区内の断水がほぼ復旧し、近くの仮設住宅入居が始まったため、発生から1年を前に避難所としての役割を終了。市内の自主避難所は解消した。住民が「最高」と愛着を深めた避難所には、最後まで笑顔が絶えなかった。 この日は、ボランティアや住民約30人が、各部屋の段ボールベッドの片付けや清掃、近くで保管していた神輿の移設に励んだ。23日に大谷町の仮設住宅へ入る南方治さん(73)は「閉鎖されなければ、ずっとここにいたかった」とこぼした。力を合わせると、大掃除は1時間で終わった。 ●一時的な住民宿所に 続いて解散式が食堂で始まった。4月に区長に就いた吉國國彦さん(60)は「避難所の役割は終えるが、大切な場所であることに変わりない」としみじみ。センターは引き続き、住宅再建で一時的に馬緤へ戻る住民の宿所としての役割を担う。 能登半島地震で震源の真上に当たる「震央」に近い馬緤町には、昨年末で72世帯150人が暮らした。元日の震災で多くの家が損壊し、町は12日間孤立した。住民は海沿いに建つ自然休養村センターを頼り、自主避難所の運営が始まった。 住民はセンターに食料を持ち寄り、協力して調理して配った。食料や水の支援が始まってからも、住民による調理は続いた。センターには昼も夜も多くの住民、ボランティアが集った。市の指定避難所ではできない飲酒も、ここではおとがめなし。夜に集った人々が打ち解けた。 避難所で育まれた交流は餅つき、こいのぼりや黄色いハンカチの飾り付け、伝統の「砂取節(すなとりぶし)まつり」の復活開催につながった。9月の豪雨で再び孤立したものの、秋祭りではキリコが地区を巡行した。市内でいち早く、災害公営住宅用地の同意が住民から集まったのも、良好な人間関係があってこそだった。 1月7日に馬緤へボランティアで入ってから居着き、まき風呂と調理を担当しながら稲作もした長野県佐久穂町出身の酒井洋さん(44)。解散式で「毎晩、皆さんと酒を飲み、すごくいい時間を過ごせた。冬は離れ、また来年からここにいようと思う」と移住を宣言し、住民の拍手を浴びた。 ●2人は引き続き滞在 最後まで自主避難所に残った5人のうち3人は仮設住宅へ。残る2人は、自宅再建完了までセンターで過ごす。自主避難所リーダーを務めた小秀一さん(60)は「最高の避難所だった。失った物は多いが、多くの恵みを得た」と前を向いた。