ヒラリー・クリントンという偉大すぎる姉をもった「不肖の弟たち」
偉大すぎる姉をもった悲劇
ヒラリーには、三歳と七歳離れた二人の弟がいる(編集部注:弟トニーは2019年6月に死去)。弟の誕生は、姉にとっては両親の愛情や関心を奪われるという点で脅威であり、幼い頃から強烈だったヒラリーの自己アピールをいっそう強化するのに一役買っただろう。 だが、鋼(はがね)の意志と頭の回転の速さを備えた姉に比べると、弟たちの能力は凡庸(ぼんよう)であった。中でも問題が多かったのは、末の弟トニーである。姉とは無論、兄と比べても、学業面でもスポーツでも、ぱっとしなかったトニーは、心のバランスをとるのが難しかったに違いない。 姉は、ハーバード・ロースクールを蹴って、イェール・ロースクールに進み、その後も弁護士として第一線で活躍しながら、ファースト・レディの座に上り詰めていく。そんな姉のまぶしすぎる活躍の一方で、トニーは仕事を転々とし、その経歴にはいかがわしさが付きまとった。兄とともに私立探偵の仕事をしていたこともある。 義兄がホワイトハウスの主となると、おこぼれにあずかって、それらしい地位に就くが、だらしない性格が急に変わるはずもなく、結局、名前が出てくるときと言えば、姉や義兄の顔に泥を塗るような、スキャンダルまがいの金銭問題や暴力沙汰に絡んでだった。ヒラリーにとっては、まったく情けない不肖の弟だったと言えるだろうが、本人からすると、偉大すぎる姉をもった悲劇と言えなくもない。 しかし、もともとの原因は、姉のせいでも弟たちのせいでもなく、父親の偏った価値観に、その根本原因があったとも言えるだろう。 父親の強いコンプレックスと成功願望に応えようとした姉と、応えきれなかった弟たち。父親が一面的な価値観を押し付ければ押し付けるほど、明暗がくっきりと分かれてしまうのは必然的な結果だったと言えるだろう。
TEXT=岡田尊司