“舞鶴vs呉”肉じゃが発祥地論争、なぜ27年も? 「呉は教科書を無視した作り方」「舞鶴の10年前に東郷平八郎は来ている」
これに山下氏は「東郷さんは呉に10年前に来た。10年も経ってから“ビーフシチューが食いたい”なんて言うわけがない。呉にいる時に、階級は下でも食べたいものを料理長に言って、それで今の甘煮ができたんだと。呉は大空襲に遭って全部燃えてしまったが、戦争の火が飛んでいない舞鶴は残っているというだけの差だ。調理法は全国の海軍に出回っているはずで、そういうことも知らずに“うちじゃ、うちじゃ”といつまでも舞鶴さんは言い切っている」と主張した。
とはいえ、味については、伊庭氏「27年前に比べたら、呉はどんどんおいしくなっている」、山下氏「舞鶴さんは舞鶴さんでおいしい」とお互いを褒める発言も。というのも、旧軍港グルメ交流会なるものが毎年1回開かれ、舞鶴も呉も参加している(+横須賀と佐世保の4市)。そこでは、食べ比べもされているのだ。 伊庭氏は「呉が発祥地と言い出した時、ものすごく腹が立ち、1年間もやもやし続けた後に殴り込みに行った。事前に行く日を伝えて、当日車で到着したら、テレビ局や新聞社がたくさん取材に来ている。舞鶴だけでやっている時もそれなりに盛り上がっていたが、それ以上に呉の人たちが盛り上がった。初めは潰して帰ろうと思っていたが、これだけ盛り上がるなら決着をつけたらもったいない。当時の会長さんと“次に決着をつけないか”と裏で取引をしたら、呉もしぶとく、気づけば27年だ」と明かした。 (『ABEMA Prime』より)