多くの人が陥りがちな「経営の大誤解」…人生がうまくいかないのには「理由」があった!
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
はじめに:日常は経営でできている
日常は経営であふれている。 仕事にかぎらず、恋愛、勉強、芸術、科学、歴史……などあらゆる人間活動で生じる不条理劇は「経営という概念への誤解」からもたらされる。 もちろん、ここでいう経営はいわゆる企業経営やお金儲けを指していない。 本書『世界は経営でできている』が扱う経営概念は多くの方の固定観念と相いれないだろう。この本は経営概念そのものを変化させる書であり、日常に潜む経営がもたらす悲喜劇の博物誌でもある。 たとえば次の比喩。
きみの○○を食べたい:日常に潜む悲喜劇
ひとつは「飲食店で注文した品がなかなか出てこずにイライラする」場面だ。こんなありふれた日常にも経営が潜む。 しびれを切らし、ウェイターに「あの、○○を注文したはずですけど」とたずねる。だが、「いま作ってますから」と素っ気ない返事しかもらえない。 それから三十分以上経ってようやく○○と対面できた頃には、こちらも「つまみとして頼んだのに、もうお酒も飲み終わったし、いらないですよ」と嫌味になる。 ウェイターはむっとして、がちゃん、と、お皿をテーブルに叩たたきつけていく。こちらからすれば「こんなに待たされた上に態度も悪いなんて許せない」と顔を真っ赤にする。 断っておくが、これは私の実体験ではない。 たしかに、いつでも/どの飲食店でも私の料理だけは出てくるのが遅い。しかし、持ち前の八方美人根性を発揮し、店員さんに嫌われまいと「いやあ早かったですね。おいしそう」と不気味な愛想笑いをして(顔自体が不気味なのであって、笑顔は満点なはずなのだが)、逆に嫌味と捉えられて出入り禁止になるのが実際の私だ。 本題に戻ろう。 この場面で我々(客)がウェイターに対して怒るのは実は不合理だ。責任が存在しない場所に無意味な不満をぶつけているためである。 大抵のウェイターは、料理が崩れないよう凝視しながら周囲にも気を配るという肩の凝る芸当をこなしつつ、すばやく料理を運んでいる。料理が出てくるのが遅い原因は、ウェイターではなくキッチンで採用されている調理法の欠陥にあることがほとんどだ。 だからこそウェイターは、嫌味を言われても「自分は一所懸命に料理を運んできたし、自分が悪いわけじゃないのに……」と気分を害する。かといって、キッチンで働く人々も大抵はマニュアルの指示通り料理を作っているだけであり、責めるべき対象ではない。 もし本当に料理の到着が遅い状況を正したいなら、いかにも飲食のプロ(注:飲食「業界」のプロではなく飲食=摂食のプロなら誰でも名乗れる)という顔をしながらキッチンを訪ねて「ちょっと君たち、僕が画期的な調理手法を教えてあげよう」と提案すべきだ。 そうすれば問題は解決するか、そうでなければ自分の方が問題にされて警備員に取り押さえられて、怒るどころの騒ぎではなくなるだろう。 もちろん、ウェイターがとっくの昔に出来上がっていた我々の大事な○○を持ったまま別の魅力的な客のテーブルに寄り、ワインで出会いに乾杯するという逸脱・ナンパ行為に手を染めていたなら話は別だ。 つづく「会社役員の「営業成績が平均未満の人間はクビ」発言が「決定的に間違っているワケ」」では、経営思考が足りない企業で起きうる「悲劇」について分析する。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)