新紙幣が発行! 「一万円札の顔 渋沢栄一」と北九州に深いつながり
テレQ(TVQ九州放送)
いよいよ始まった新しい紙幣の発行。ある場所にも変化が。 記者 「福岡市内にある書店に来ています。自己啓発本などが並ぶコーナーを見ていくとこちら新一万円札の顔渋沢栄一に関する本がずらりと並べられています」 こちらの書店、新たな「お札の顔」の偉人たちの本を並べるなど新紙幣発行に合わせ売り場を変化させています。中でも人気なのが渋沢栄一。 渋沢栄一は日本最初の銀行を設立するなど明治から大正にかけ日本経済の発展に尽力した実業家です。いま彼の理念を学ぼうと多くの社会人が渋沢に関する本を購入しているといいます。 丸善 副店長 前田文雄さん 「論語と算盤という本があってこれはロングセラーで売れている。今回、新紙幣ということで各社いろんな形で渋沢栄一さんの本を出していますね」 社会人向けの本だけではありません。 「渋沢栄一さんのことを漫画で書いた子ども向けの本になります」 学習漫画でも渋沢を題材にしたものが出版されています。時を越え、令和の時代を生きる人にも学びの対象になっている渋沢栄一。調べてみると実は北九州と深いつながりがありました。 向かったのは、いのちのたび博物館。渋沢栄一といえば日本最初の銀行、現在のみずほ銀行を設立したことが有名ですが功績はそれだけではありません。 いのちのたび博物館 日比野利信さん Q渋沢の功績は 「日本資本主義の父といわれているように日本全国の様々な業種の企業を立ち上げたり、あるいはその企業の経営に関わったり投資したり、ほんとに数多くの企業に関わった、そしてその経営をサポートした」 Q関わった企業は 「1000は超えている」 その中には、北九州の企業が数多くあります。 現在のJR鹿児島線である九州鉄道など渋沢は、九州の重要なインフラ建設にも関わりました。 「北九州は明治時代において筑豊の石炭を取ってきて、それを外に出す。あるいはそれを使った様々な産業例えば製鉄など、そうした事業を行う拠点になるので、他の地方とはやっぱり違った意味が渋沢にとってもあった」 北九州の地理的な強み。その地に厚い信頼を置いていた人物がいます。 「渋沢栄一にとっては、全国様々な会社に同じように関わることはできないのでどうしても地方それぞれにパートナーが必要。北九州の場合はそのパートナーの代表が安川敬一郎だった」 製造業の町、北九州の礎を築いた安川敬一郎。機械に関心を持っていた息子第五郎に「資金は出す、口出しはせぬ」と会社の設立を促し、後の安川電機を創業させました。安川敬一郎と渋沢の交流を示す実際の手紙がいのちのたび博物館に展示されています。そのやりとりからは渋沢が安川に絶大な信頼を置いていたことが分かります。渋沢が自身が関わる会社の重役に安川を起用したいと依頼した手紙には。 「安川敬一郎が自分ではちょっと無理だとか自分以外の人を(重役に)と言ったときに、それに対しての返信として、あなたしかいない。とにかく責任を持ってやってくれる人がいないと会社っていうのは烏合の衆になってしまう。それではだめなのであなたにやってほしい。これはやっぱりお互いが信頼しているからこそできたやりとり」 全国、そして世界を駆け回った渋沢栄一。その生涯で何を追い求めたのでしょうか。 「渋沢は時代時代でやることは違えど生涯を通して日本の近代化を特に産業面から実現しようとしたという面では、一本貫いた意思と行動があった」 渋沢は「企業の目的が利潤の追求であっても、根底には道徳が必要であり、公共に対して責任を持たなくてはならない」と説きました。現代にも通じるメッセージと いえます。 「お金をもうける、利益を上げるということはビジネスマンとしてはもちろんのことなんですけども、その先にどういう国とか社会を目指していくか、そういう理想を追求することとビジネスを両立させていくことは今も昔も変わらない大きな課題だろう」 その生涯で数多くの功績を残した渋沢栄一。約100年の時を越え、新紙幣の顔として日本の発展を見守ります。
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