『本心』池松壮亮、石井裕也インタビュー。「今作は“記憶を記録すること”の映画」
池松壮亮が主演を、石井裕也が監督を務めた映画『本心』が11月8日(金)から公開になる。本作では亡き母の本心をデジタル技術の力を借りて探る主人公のドラマが描かれる。劇中には人工知能(AI)や仮想の身体(バーチャル・フィギュア)など日々、進化を続けているテクノロジーが登場するが、本作の中心にあるのは“人間の記憶”だ。 【画像】『本心』の写真 かたちのない、しかし確かに存在していて、そのあり方が刻一刻と変化していく……なぜ本作は “記憶の不確かさ”を扱うのか? その果てに何を描こうとしたのか? 池松と石井監督に話を聞いた。 自ら死を選ぶことができる“自由死”を選択してこの世を去った母・秋子は、急逝する直前、息子の朔也に「大事な話があるの」と言い残していた。母は何を伝えようとしたのか? 朔也は、母の本心を探るために生前の母の個人データなどを集約させて、仮想空間上に“母”を作り出す。朔也はバーチャル・フィギュア=VFの“母”と対面し、会話し、そのことでデータがさらに蓄積され、“母”は変化を遂げていく。朔也の目の前にいるこの女性は母なのか? 母の本心とは? 本作の原作は、平野啓一郎が2019年9月から翌年7月にかけて新聞に連載した同名小説。小説を読んだ池松は映画化を希望し、これまでも繰り返しタッグを組んできた石井監督に声をかけた。 池松 平野さんの小説は、小説として素晴らしいのはもちろん、映画的な題材を扱っているものが多く、みんなが映像権をほしがる作品だと思います。コロナ禍で、これまでの映画の価値観が崩れていくことを感じていました。誰もが暗闇の中にいたと思います。映画や物語の可能性をもう一度自分の中で考えている時に今作に出会い、これだと思いました。 もちろん、この小説を映像化して良いものなのかしばらく悩みました。2020年の2月頃、世界中でコロナウィルスがまん延し始めた時、石井さんと僕は韓国で映画(『アジアの天使』)を撮っていて。その後も連絡を取り合いながら意見や気持ちを共有していました。そうした中で、「やはりこの小説を映画にしたい、40代に入る石井さんにこの原作と出会ってほしい」という思いが膨らんでいきました。 石井 小説の連載中から読み始めたんですけど、新しい話を読んでいくたびにまったく新しい未知の世界に連れていかれるような感覚がしたんです。僕が読み始めたのは、ちょうど2020年の末で、当時はコロナという未知のものに世界が覆われて、自分たちがどうなってしまうのか全くわからない状況だった。そのふたつがピタリと重なって、この小説がコロナ前から書かれているにもかかわらず、その時に自分が抱えていた不安と符号したことにもビックリしたんです。 この物語も、この映画も結末まで観ても“どう言葉にして良いのかわからないもの”かもしれない。でも、それこそが今の時代のリアルだと思いますし、自分もそういう題材に果敢にチャレンジしていかなきゃいけないと思っていましたから、この小説を映画化することで、自分がこれまでやったことのない新しい表現ができるのではないかという期待感もありました。 劇中には加速度的な進化を遂げるテクノロジー(人工知能や仮想現実など)が登場し、社会の基盤が揺らぎ、不安定な状況で生きざるを得ない社会の行末が描かれる。完全な未来ではないが、完全な空想でもない。現代の知見と想像力を動員して“私たちの現在地”が透けて見える。 石井 この映画は2023年に撮影したんですけど、もし前年に撮影していたら、あるいは翌年に撮影していたら、この映画とはまったく違うニュアンスの映画になったと思います。完成した映画はまさに“現在の答え”で、テクノロジーの急激な進化の流れを読みながら、一番いいバランスを見つけていくことに苦心しました。 その一方で、描かれている世界の表層が極めて特異なものであるからこそ、本質やテーマが浮かびあがると思ったんです。小説『本心』にはリアルアバターやVFなどの難しい要素が出てくるんですけど、だからこそ「愛」とか「生きること」という普遍的なテーマが生々しく浮かび上がってくる。この小説の世界観を描くことで、これまで自分が描いてきた「愛の可能性」とか「生きることは?」というテーマを何倍にも増幅して描くことができるのではないかと思いました。 石井監督が語る通り、本作には未来的なガジェットや設定が登場するが、その根底には石井監督がこれまでに繰り返し描いてきたモチーフがしっかりと息づいている。郊外のボロ家で共同生活する男女のドラマを通して人間のパワフルさと不完全さを描き出してみせた長編第一作『剥き出しにっぽん』、息子を失った母の彷徨のドラマを描く『ばけもの模様』、幼少期に病によってこの世を去った自身の母をモチーフにした『茜色の焼かれる』、失踪した母をめぐる一家の奔走を描く『愛にイナズマ』など、石井作品は初期作から近作まで、その視点は一貫している。 池松 近未来という設定の中で本作にある様々な対比構造、生と死、過去と未来、本心と言葉、宇宙の距離と人間の距離、そうしたことを用いることで、石井さんが近年描いてきた実存、存在の陰りと実感、この世界への執着と愛着、そうしたものがより際立ち、大きなスケールの中で描けるのではないかと思いました。母というテーマについては、むしろ一番ネックになるかもしれないと危惧していたところです。『茜色…』で、石井さん自身がお母さまが亡くなられた年齢を超えて、そのことを踏まえてあの作品を生み出した時に、石井さんの中で何かがひとつ終わった気が勝手にしていたんですね。映画の中で母親というものを描いてきたことや、それまでの自分の人生というものにいったん決着をつけたように感じていたんです。 そんな石井さんにこの小説の映画化を提案することが果たして本当に正しいのか? とても迷いました。僕はちょうど10年前の2014年に『ぼくたちの家族』という作品で石井映画に初めて参加し、そこで母親という存在と決定的に向き合うことになりました。その10年後にもう一度今作で、あの時よりももう少し広く“母なるもの”と石井さんが向きあうことを考えたときに、もしかしたらもう違うと感じるかもしれない。それでもダメもとで、読んでみてくださいとお伝えしました。