「私は無実だ」えん罪を訴えるも死刑に処せられた男性「福岡事件」50回忌 無念を語り継ぐ人たち
大本:(かしわ手)謹みかしこみ、かしこみ申す。福岡事件に関わる無実の罪にて、福岡刑務所に… まず、神道の宗派・大本(おおもと)教です。「大本」は死刑廃止運動を続けています。 神父:わたしを、あなたの平和の道具として、お使いください。(讃美歌)♪主はわれらの牧者 キリスト教の讃美歌と祈りに続いて、最後は仏教です。 (鉦に続いて読経)仏説阿弥陀経… 僧侶・古川龍衍さん:顧みれば、西武雄さんは無実を訴えながらも、獄中28年の苦吟の果てに処刑されし方なり。西さんのえん罪を晴らさんとする積年の悲願、道半ばなれど、確かに受け継がれ、今に至る。このような悲劇が二度と繰り返されぬよう、その実現に尽力せんことを誓う。「叫びたし寒満月の割れるほど」西武雄さんの魂の叫び、時空を超えて、世界に響き渡らんことを。 こうして3宗派の祈りが捧げられました。「叫びたし寒満月の割れるほど」は、獄中で西武雄さんが読んだ句です。西さんは死刑確定後も、仏の絵を描き、写経を続け、無実を訴え続けました。 ■「無実の罪の我が身に、涙のにじむ」 再審請求を続けてきた古川泰龍さんの「生命山シュバイツァー寺」は今、息子の龍樹さんが住職を務めています。50回忌に当たり、龍樹さんは西武雄さんが書き残した日記を読み上げました。 (西武雄さんが1961年に書いた獄中句日記より)無実の罪の吾が身に涙のにじむのである。この生ける屍と耐えることの苦痛は誰がしろう。ある人は言う、それは宿業なりと。しかし宿業なりというだけでこの苦悩をはかり越えることは不可能であろう。一日のうちで一時間だけ獄庭に出て日光に立てるうれしさ。しかし、しみじみと思うのである。冤罪で十四年、生きがたい人生であることに号泣したい思いである。自殺を何度考えたことか――自殺したあとで冤罪の晴れてくれればいいが、これさいわいとして闇から闇に扱われるのがおちだろうと思うと、死ねない。俺は生きながらの仏鬼となって自らを見守りたいと思う。誰も信ずる必要はない。私は私を信じているしそれだけが安らぎである。口先の、ていさいのいい慰めや励みなどは悲しみが深い。念仏のみである。