『ブギウギ』主題歌は“スズ子の人生”を歌っていた 「ハッピー☆ブギ」が象徴するもの
スズ子(趣里)がアメリカ公演へと旅立った、NHK朝ドラ『ブギウギ』の第23週目。スズ子が羽鳥(草彅剛)のもとで稽古を始め、ステージ上で歌って踊るスタイルを確立してからもう長い年月が経過していた。その過程でブギにも出会ったスズ子は、ついに海を越えて、外国で歌えるまでになったのだ。 【写真】松吉の家で出迎えられるスズ子(趣里)と愛子(小野美音) スズ子の物語が終盤になり、改めて本作の主題歌「ハッピー☆ブギ」を聞くと、スズ子が経験してきたことが端々で歌われていることがわかる。 <何なの このリズム 無重力みたい>というのは、まだ日本では珍しかったジャズを基調とした「ラッパと娘」やブギウギのリズムが盛り込まれている「東京ブギウギ」を聞いた時のスズ子の心境とも考えられる。その曲たちで人気を集めた彼女は<大空を羽ばたけるの>の歌詞の通り、アメリカ公演をすることを決めた。だがそうなるまでにずっと順風満帆だったわけではない。「大空」という言葉に戦死した弟のことを歌ったとされる軍歌「大空の弟」を思い出した人もいるだろう。そんな悲しい別れを何度も乗り越えて、今のスズ子の姿があるのだ。 スズ子をそばで支えてくれる人もたくさんいる。約4カ月ものアメリカ公演には愛娘の愛子(小野美音)を連れて行くことができないと知らされていた。第107話ではひょんなことからマミーが遠くへ行ってしまうということを知った愛子に泣かれ、スズ子は縁側で自分の決断に迷っていた。その背中を押してくれたのが、母代わりとなってくれている麻里(市川実和子)や大野(木野花)だった。ふたりは自分のことを「うるさいおばさん」と言ったが、同じ母としての立場を経験したことのある人からの言葉は、スズ子にとっては貴重でありがたいものである。この人たちとの出会いもブギがなければなかったものだ。 それに、アメリカに旅立つ時も泣き叫んだ愛子と離れるためにスズ子は心を鬼にしなければなならなかった。それほどまで愛子を深く愛しているのである。その愛子だって、歌手になって愛助(水上恒司)と出会わなければ授からなかった子だ。だからこそ「ハッピー☆ブギ」では<ブギはララバイ 優しいメロディー><母の温もり 生きてる鼓動感じてる>と歌われているのだろう。 明るいブギの曲で人気となったスズ子だが、その人生は悩みと別れが多く、朝ドラを観終わる時にはちょっとしんみりしてしまうことも多い。だが毎朝、やっぱりブギ調の「ハッピー☆ブギ」が流れてくると、自然と楽しくワクワクした気持ちになる。まさに歌詞にある通り、「ブギウギ」という言葉は<魔法の言葉>で<体が自然と踊り出す>ものだ。きっとこれはスズ子の気持ちを表す言葉でもある。そういう意味で、主題歌「ハッピー☆ブギ」はドラマ『ブギウギ』を象徴する歌であると同時に、歌手・福来スズ子の歌手としてのマインドを表した歌とも言えるのではないだろうか。 羽鳥が「あと1年はいたい」というくらい刺激的な経験をしたアメリカでの公演。ドラマの中では描かれなかったが、スズ子のモデルとなった笠置シヅ子と服部良一が訪れたハワイでは『買物ブギー』の一節、「ワテはほんまによう言わんわ」や「おっさんおっさん」が街中でも流行語として定着しており、服部は地元の住民から「おっさんおっさん」と呼び止められ、シヅ子も「ワテはほんまによう言わんわ」と声をかけられたというエピソードが残っている(※)。自分の曲がこれほどまでに受け入れられ、まだまだ知らない音楽や芸術があることを知った羽鳥がそのようにいうのも無理はないという気がしてしまう。その一方で、「愛子がいないと寂しい」と言ったスズ子はやはりどこまでも、歌手である前にひとりの人間であることを大切にしていることがわかる。 歌手として成長して、愛子をいっぱい抱きしめたスズ子はさらにエネルギッシュになるはず。<突っ走って ぶっち切って 歌って踊ろう!>の歌詞を体現する、パワフルなスズ子をこれからも楽しみにしたい。 ■参照 ※『ぼくの音楽人生―エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史』 服部良一 1993年 日本文芸社
久保田ひかる