【「エイリアン ロムルス」評論】鬼才の研ぎ澄まされた映像感覚が、恐怖と絶望を増幅させる
「エイリアン」(1979)がこの世に産み落とした”完璧な生命体”は、ある意味、映画史における究極の悪夢と言っても過言ではない。ヌルッと黒光りしたボディ。泣き叫んでも躊躇なく獲物を切り裂く生態。そのすべての大元にある生物としての純粋すぎる目的―――。作品ごとに物語は深遠かつ壮大に膨らんだ。が、シリーズ誕生から45年が経つ今、予備知識がなくとも単体で、本能的に楽しめる新作がここに生まれたことは画期的だ(とはいえ、過去作を観ておくとより楽しめるのは確実)。 物語の時代背景は第1作目から約20年後、若きレイン(ケイリー・スピーニー)は親の代から引き続き、移住した惑星での過酷な採掘作業を背負って生きている。労働環境は最悪。企業は彼らの命を何とも思っちゃいない。この希望の持てない暮らしの中、彼女はいつかアンドロイドの弟と憧れの惑星ユヴァーガを目指すことだけを夢見ている。そんな矢先に仲間から、頭上に浮かぶ廃墟化した宇宙ステーション(ロムルスとレムスという2つのブロックから成る)で装置や船を奪取して、一緒にユヴァーガへ旅立とうと提案され…。 フェデ・アルバレス監督の出世作「ドント・ブリーズ」(2016)を観たことがあれば、主人公らが密室空間へ侵入した結果、いかなる悪夢に飲み込まれていくか容易に想像がつくはず。ヒロインが”ここではないどこか”を目指す点にも通底するものがある。そこに襲い来る夥しい数のエイリアンがいつも以上に残忍かつ無慈悲に思えるのは、餌食になるのが人生でまだ何も成し遂げられぬままの若者たちだからだろうか。 シンプルな構造に見えながら、前半で盛り込まれた状況が巧みに生かされたり、はたまたアンドロイドの存在がまたもキーになるなど、単なるサバイバル・スリラーに留まらない奥深い視座が光る。その上、「プリシラ」(2023)の好演が記憶に新しいケイリー・スピーニーがいざ銃を構えると、歴代ヒロインに続く逞しい1ページが刻印。彼女にあるのは若さと、弟を思う気持ちだけだ。職能や特技のない彼女が、ただただ生き延びようともがき、死力を尽くすからこそ、その姿はリアルな切実さと気迫を伴ってスクリーン上に映える。 終わりなき恐怖と絶望。外からも内からも迫り来る衝撃。そして何より若者に託された物語であること―――過去の名匠たちと同じく、アルバレスもまた彼ならではの確固たるビジョンと手法で、緊迫感みなぎる怪作をここに産み落としたのだ。 (牛津厚信)