【商都郡山100年物語】「フルーツ文化」創造 福島県郡山市の青木商店
いつでも、どこでも、誰でも、フルーツを手軽に食べてほしい―。福島県郡山市の青木商店は創業100年を迎えた。バナナの加工・卸売業として創業以来、果物専門店やジュースバー、フルーツタルトが味わえるカフェなど生活様式の変化に応じて業容を拡大し、果物のおいしさを届けてきた。フルーツ文化の創造を掲げ、「フルーツインフラ」構築による健康づくりを目指す。 ■憧れのバナナ 創業者の青木松吉さんは栃木県栃木市で、農家の長男として生まれた。当初は自ら栽培したブドウを販売して生計を立てていたが、国内で流通が少なく、憧れの果物だったバナナに着目。日本の植民地だった台湾に親類を派遣し、バナナを移入する販路を開拓した。 1924(大正13)年5月に栃木県小山市で創業し、2年後に郡山市に移転開業。青バナナを熟成加工して販売した。太平洋戦争下の統制経済を経て1946(昭和21)年、復員した青木(旧姓・安斎)三郎さんが2代目社長に就いた。
■輸入禁止の危機 戦後の復興期を迎えた1962年、台湾でコレラが流行し、バナナの輸入がストップした。仕入れたバナナもやむなく焼却処分し、南米産バナナが輸入されるまで耐え忍んだ。 高度経済成長期の消費拡大に合わせ、バナナ以外の果物の販売を充実させた。産地や品質、鮮度を見極め、熟度を管理できる果物専門店としての業態を確立した。市場に入場し、青果卸売業にも進出していった。 ■世の中へ恩返し 3代目の青木信博会長(76)は1972年に入社し、青果市場での果物の流通量の減少傾向に疑問を持った。スーパーで肉や魚は調理されて並んでいたが、果物は素材のまま販売されていた。女性の社会進出が進み、調理済み食品が選ばれる消費動向を捉え、果物をジュースとして提供する着想を得た。ジュースバーは全国に約180店展開し、年間1500万杯を販売する主力事業に成長した。 2018(平成30)年2月、青木大輔さん(41)が4代目社長に就いた。習熟度別に教育プログラムを設け、社員教育に力を入れている。信博さんは「仕事は世の中への恩返し」との意識を社員と共有し、果物の可能性を追求していく。