電話1本でハリウッド映画を決めた、世界一有名な「黒服サングラス」の二人組…ブルース・ブラザーズ、旅と悲しみから生まれた本物たちとの絆
今から42年前の1982年3月5日に亡くなった稀代のエンターテイナーと知られるジョン・ベルーシ。彼は親友で俳優のダン・エイクロイドと組んだ「ブルース・ブラザース」としてもその才能を余すところなく発揮していたというが、いったいどんな逸話があるのだろうか。 【画像】『MIB』や『マトリックス』にオマージュされたブルース・ブラザース
マンハッタンの秘密基地からはじまった
「俺たちはそろそろ作られた道化はやめるべきだ。俺たち自身が楽しめてその役になりきれる。そんなことをやろうぜ、ダニー。俺はお前と一緒に何かやりたいんだ。何かこう最高にハッピーなれることを!」 1978年4月、NYマンハッタンのロックフェラー・プラザ30番地にあるRCAビルの17階。その日の夜も、ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシは、フロアの片隅にロッカーを並べて作った自分たちの秘密基地で、75年10月の放映以来、全米で最もヒップな番組となっていた『サタデー・ナイト・ライブ』(以下SNL)の新しいアイデアや台本書きに余念がなかった。 脱ぎ捨てられた洋服や膨大な殴り書きのメモ、煙草の吸い殻やオモチャの模型で埋められた薄汚れた空間から声が響いた。 「そうだ、ブルース・ブラザースだ!!」
全米横断ブルース・ブラザースの旅へ
それは『SNL』のファーストシーズンの終わり、1976年の夏に生まれた言葉だった。エイクロイドとベルーシは休暇を利用してアメリカ横断の旅に発つ。 高視聴率や高額なCM枠はTV局NBCにとっては最高なことだったが、二人にはそんなことはどうでもよかった。都市部よりも本当のアメリカ=中西部で自分たちが受け入れられているか、どうしても確かめたくなったのだ。労働者階級(ブルーカラー)こそがアメリカの血と汗と涙であることを知っていたのだ。 運転はスピード狂のエイクロイドが担当。ベルーシが助手席に収まった。二人は『路上』のサル・パラダイスとディーン・モリアーティのようにひたすら車を走らせた。 それは「ブルース・ブラザースの旅」と名付けられた。モーテルやショッピングモールやダイナー、ラジオから聴こえる土地の人々の声や喋り方、素晴らしき音楽。アメリカのスモールタウンを通り過ぎながら、二人は社会の底辺に生きる風景を吸収していった。 ある時は町の大学に立ち寄り、学生たちが気づいてくれることを期待したが、誰も二人のことを知らなかった。 「俺たちはもっと仕事しなきゃならねえ!」