『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』マット・スミス&ファビアン・フランケルがシーズン2を語る
シリーズから降板したショーランナー、ミゲル・サポチニクの不在について
――このシリーズは、ジョージ・R・R・マーティンが書いた歴史書の『炎と血』を原作としていますが、そこには史実は書かれていても、キャラクターアーク(登場人物の成長)については書かれていません。原作からどのようなものを受け取り、キャラクターの肉付けを行っていったのでしょうか。 フランケル:私もマットも原作を読みました。最初にこの本を手に入れたとき、まず『炎と血』のセクションを読みました。おっしゃるようにこれは歴史書であり、俳優である私たちのために書かれている部分は全くありません。ただ史実に基づき、この年にこんなことがありました、こんなことが起こりますよ、ということが書かれているだけです。そういう意味では、まったく役に立たないですね(笑)。また、ご存知のように、ライアン(・コンダル/ショーランナー)は原作本に忠実であろうとすると思いますが、これはテレビシリーズです。今までも原作から変わっていますし、これからも変えていくでしょう。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で起きた多くのことは、原作では起きていません。逆に、原作に書かれている多くのことが、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』では描かれていません。クリストン・コールは、原作で描かれている人物像とドラマシリーズで描かれているキャラクターアークがまったく違います。原作に書かれていることの3分の1は、最初の2シーズンで彼に起こったことだと思います。だから、私にとって原作は何の影響を与えるものでもありませんでした。 スミス:ファビアンが言うように、結局のところ、テレビシリーズの脚本は、構成や伝え方を、テレビ番組のフォーマットに合わせなければならないものです。でも、小説と同じように、『炎と血』は情報源としてその人物の本質を描き出す手助けをし、私たちはできるだけ多くの調査資料を用いて文章で描かれたキャラクターに肉付けしていくものです。 ――『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』において、デイモンはインターネット上で最も人気の高いキャラクターでもあります。 スミス:私はデイモンが好きだし、たとえデイモンが嫌われていたとしても気にしませんよ。連続殺人鬼のパトリック・ベイトマン(注:『アメリカン・サイコ』の主人公。マット・スミスはミュージカル版で演じている)を演じたことがあるけど、彼のことだって好きでした。だってそうでしょう。デイモンは私に似ているところがあるし、彼を批判するためにここにいるわけではありません。デイモンにはデイモンの要素があると思うし、彼を理解し、彼の頭の中に入り込むことが私の仕事です。デイモンがインターネット上で支持を集めているかなんて、ある意味関係ありません。彼は本当に素晴らしく造形されたキャラクターで、演じていて本当におもしろい人物だと思うだけです。 ――マット・スミスさんは、Varietyのインタビュー(※)で、シリーズから降板したショーランナーの一人、ミゲル・サポチニクの不在を感じるとおっしゃっていました。どのようなところにそれを感じるのでしょうか? スミス:例えば、シーズン2にはパディ(・コンシダイン/ヴィセーリス王)がいません。彼の不在を常に感じています。クリエイティブな活動を共にしたり、一緒に努力したりと、親密に仕事をした人がいなくなると、その人たちの存在が恋しくなるものです。このシリーズが素晴らしい作り手に委ねられていて、最終的にどこに向かっているのかもわかっています。そして、(演じる)私たちも、それを提供する方法がわかっています。だから、私たちは正しい道を進んでいると言えるでしょう。でも、パディが恋しいし、キャラクターを共に作り上げるような共同作業をしてきた仲間の存在を恋しく思います。このシリーズの性質上、人は死に、人はそれを乗り越えていく。だから私たちは、彼らの健闘を祈るとともに、それぞれの道を歩み続けるのです。 参照 ※ https://variety.com/2024/tv/news/matt-smith-house-of-the-dragon-season-2-weaker-daemon-1236017805/
平井伊都子