《スポーツノンフィクション》「視覚障がいアスリート」たちは″見えない恐怖″をいかに乗り越えたか
「2時」「5時!」――。壁の下に立つリード役の声に合わせて、目隠しをした男性が、まるで見えているかのように、指示された方向にあるホールドをおさえ、10mはある壁を登っていく――。 【画像】地道な努力の積み重ね…「見えない」を乗り越えるためイメトレに励むパラアスリート・濵ノ上文哉さん 視覚障がいのある選手たちが競うパラクライミングの世界選手権で、2度世界一に輝いた日本人選手がいる。前段の「神業」を見せてくれた濵ノ上(はまのうえ)文哉さん(33)その人だ。競技との出会いは、意外なものだった。 「実はエロがきっかけでした(笑)。’16年にアダルトグッズメーカーのTENGAが協賛した『オトナの色恋ナイト』というイベントで、障がい者クライミングの普及活動をしているNPO法人・モンキーマジックの副代表と出会い、パラクライミングを知ったんです」 濵ノ上さんが、網膜色素変性症という進行性の病だと診断されたのは中学2年のとき。 「昼間は周囲が見えていたのですが、夜になると見づらくなる。自転車に乗っていて、車に横からぶつかったこともありました」 医師から「障害者2級」と言われたのは大学受験の直前だった。 「障がい者という言葉に漠然とショックを受けた記憶があります。今は、昼間でも見えにくい。どのくらい見えないかというと、近距離で向かい合って話していても、前方になんとなく人がいるとわかる程度です」 就職活動では約80社に応募したが全て不採用。なんとか総合商社のグループ企業に事務職で就職した。入社から約1年後、大阪から東京本社に転勤になったタイミングで、濵ノ上さんに転機が訪れる。 「関西で参加していた視覚障がい者のコミュニティーから、メルマガが届いたんです」 それこそが「オトナの色恋ナイト」の案内だった。渋谷区のコワーキングスペースのような場所で、ラジオDJが官能小説を朗読する会だった。 「打ち上げの席でモンキーマジックの副代表に、『うちでクライミングのイベントやってるから今度おいでよ』と誘われて。行った先で出会ったのが、モンキーマジック代表でパラクライミング元世界王者の小林幸一郎さんだったんです」 小林さんは世界選手権の金メダルをポケットから出して触らせてくれた。周囲の人が喜び、幸せを分かち合う姿に惹かれて、自分もこうなりたいと感じた。 以来、ほとんど毎日クライミングに明け暮れた。昨年12月に建設関係の会社のアスリート採用を受けて転職。いまも練習漬けの日々を送る。 意外に思われるかもしれないが、競技中に見えないことの恐怖感はないという。 「次にどのホールドをつかめばいいかわかる健常者と比べて、僕は指示を待たなければ次のホールドを目指せません。待ち時間が長いぶん、この競技に不可欠な『壁にとどまり続ける』能力は人一倍、鍛えられました。今後はパラリンピックに出て優勝できたらいいなと思っています。多くの人が持つ視覚障がい者像をどれだけ壊せるかに挑戦していきたい」 手にした白杖(はくじょう)をセンサー代わりにコースの形状を調べながら、勢いよく縁石にスケートボードごと飛び乗る。角度のあるスロープも難なく切り返して疾走していったのは大内龍成さん(23)。彼もまた、視覚障がいを持つパラアスリートだ。 「毎日めちゃくちゃ忙しいっす。朝は6時半に起きて犬に餌をやってから着替え、9時に出社。18時に帰宅し、片道1時間半かけてスケートの練習に行って、23時まで練習しています」 福島県出身の大内さんに目の異常が見つかったのは小学1年の頃。網膜色素変性症だった。スケートボードを始めた中学3年のころはまだ滑ることはできたが、特別支援学校に進学すると、病気の進行が早まった。視野が徐々に奪われていく。見えない恐怖からか、今までは簡単にできていた技ができなくなり、一時は競技生活をあきらめた。 そんな彼をもう一度スケートボードの世界に戻したのは、ある視覚障がいのスケーターとの出会いだった。 「アメリカにダン・マンシーナという、白杖を使いながら高難度の技を成功させるスケーターがいるんです。彼の存在を知り、もう一回本気でスケボーをしようと思いました。それでも最初は、目が不自由になっていく中で、俺はどうやって飯食っていくんだと不安でした。漠然とスケートに携わる仕事がしたいと思っていましたが、プライベートのコーチをやったとしても目が見えなきゃ信憑性がないですから。でも、それなら視覚障がい者でもできる鍼灸師になって、働きながらスケーターの身体のメンテができればいいと思ったんです」 気付けば、見えないことによる恐怖は消えていた。 特別支援学校を卒業した後は埼玉県の職業訓練校で寮生活をスタートさせた。 鍼灸師としての国家資格を目指す傍ら、スケートボードの練習を再開した。白杖を片手にスケボーを巧みに操る彼の姿はSNSなどでも大きな話題となり、’19年の国際大会に参加した際には、大勢の観客から脚光を浴びた。 目隠しをしてオーリー(板とともにジャンプする技)を連続成功させた回数と、1分間にオーリーを決めた回数の二つでギネス世界記録も持っている。 大内さんはこの春に職業訓練校を卒業。鍼灸師&スケートボーダーとして新生活をスタートさせた。私生活では、コンビニの女性店員に淡い恋心を抱いたこともあった。 「いい声をした店員さんがいて、彼女と仲良くなってデートしたんですよ。一緒にサスペンス映画を観に行きました。スクリーンは見えないけど音で楽しめるんです。帰りに手も繋いだりして。 縁結びの神社に行って、俺が『これって付き合ってるんだよね?』と聞くと、『私も好きだし』と言ってくれて、じゃあ付き合おうかという流れになった。ところが、彼女、54歳だって言うんです。母親より年上なんて思ってもいなかったから、驚きましたよね」 毎日が充実していると笑顔の大内さんに、今後の目標を聞いた。 「仕事面では将来、スポーツ鍼灸をやっていきたいです。ブラインドスケートのほうは、まずは競技人口を増やしたい。だから、少しでもスケートボードに興味のある人は僕のインスタに連絡してほしいです」 スケートボード、クライミングともにパラリンピックでは正式種目として認められてはいない。 それでも、この二人には、悲愴感はない。視野のほとんどを失っても、実に気さくだ。前向きで迷いがないからこそ神業が生まれるのだろう。彼らのまぶしいほどの魅力は、パラスポーツを盛り上げる原動力となるはずだ。 『FRIDAY』2023年11月10・17日号より 取材・文:甚野博則(ノンフィクションライター)
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