科学記者が見た「オッペンハイマー」 現代日本に問う科学と政治 「適性評価制度創設」と「軍事研究」誘導の危うさ
20世紀は「物理学の世紀」だった。特に前半、相対論と量子力学という二つの革命が、時間と空間の概念を一変させ、微小世界での物質やエネルギーの理解に新たな地平を開いた。それは文明を飛躍的に発展させた一方、人類を滅亡させうる悪魔の力をもたらした。 映画「オッペンハイマー」には、この革命期のスター物理学者が続々と登場する。ノーベル賞の栄誉に輝いたニールス・ボーア、アーネスト・ローレンス、エンリコ・フェルミ、ハンス・ベーテ。後に「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー。そして、大統領宛ての手紙で原爆開発の端緒を作りながら、反核運動に転じたアルベルト・アインシュタイン……。 いずれも科学史に残る傑物たち。だが、映画館で個々の業績が思い浮かぶ観衆は少ないだろう。一見しただけでは顔と名前すら一致しないかもしれない。それでも、恐らくあえて次々に現れる科学者の姿。「全米の産業力と科学イノベーションをここに集めた」という劇中のセリフと相まって、原爆開発の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」の異質さを印象づける。
世紀のスター科学者の栄光と失墜
この計画を率いたロバート・オッペンハイマーも、世紀を彩るスターの一人だった。青年時代は内省的で、共産主義に傾倒。研究面では若くして頭角を現し、20代で名門のUCバークリー(カリフォルニア大学バークリー校)とカルテック(カリフォルニア工科大学)の教職に就いた。ユダヤ系移民の子であり、ナチスの脅威から早急な原爆開発の必要性を痛感。2人の女性と関係を続けながら、気難しい天才たちを卓越した指導力でまとめ上げ、目標達成に導いた。ところが、戦後は「原爆の父」とたたえられるも、大量虐殺の罪悪感にさいなまれる。東西冷戦下の「赤狩り」(反共産主義運動)の被害者となって、名声は失墜させられた。 その栄光と没落の生涯はドラマチックである。ピュリツァー賞に輝いた原作の評伝は時代を追って描いていたが、クリストファー・ノーラン監督はカラーとモノクロの映像を織り交ぜ、時代を行き来しながら巧みに見せていく。 すでに批判があるように、広島・長崎の被爆の実相や、米南部の核実験場を巡る先住民の追放と健康被害が十分描かれていない点は、やはり物足りなさが否めない。ただ、日本の核開発史や軍事と科学の関係を取材してきた私は、より議論が必要な、現代日本にとって別の重大な示唆が二つあると感じた。