【ルポ風俗の誕生・ハプニングバー】「どうせならしちゃいなよ」それは〝ハプニング〟から始まった
さまざまなジャンルの風俗やそれにまつわるモノはどのように生まれたのか。そのルーツを辿るノンフィクションライター・高木瑞穂氏の「ルポ風俗の誕生」。第1回は「ハプニングバー」のルーツについて探る──。 【見られてますよ】すごい…連日、男女が乱痴気騒ぎを繰り広げたハプバーの内部 カウンターでマスターと猥談している女がいる。ソファーでいちゃつくカップルがいる。そのそばで、男たちが羨ましそうに鼻の下を伸ばしている。彼らは、単独男性2万円、カップル1万円の料金をそれぞれ払っている(単独女性は無料)――。 「ハプニングバー」への風当たりが年々厳しくなっている。ハプニングバー、言わずと知れた違法風俗店である。表向きはごく普通のパブで、訪れること自体に問題はない。しかし違法性を問われるのは、集まる男女が意気投合し、店内で陰部を露出したり性交したりすれば公然わいせつ罪が該当する可能性があり、それらの行為が本業態の目玉になっているからだ。 近年では「日本最大級」をうたい、約15年の歴史を持つ渋谷『眠れぬ森の美女』の経営者や従業員らが、’22年5月に公然わいせつ罪で逮捕された。翌’23年10月にも、大久保『バーエデン九二五九』の経営者や従業員らが、同じく公然わいせつ罪で逮捕されている。 ‘20年12月開業と報道された『九二五九』は、オーナーチェンジをしていて、「実は先に摘発された『眠れぬ森の美女』の関係店で、屋号自体は15年以上も前から続く老舗」だと関係者から聞いた。個室で、複数の男女が、全裸で入り乱れる形で性交していた、摘発された『眠れぬ森の美女』『九二五九』。過去に訪れ、その様を見学したことがあった。いずれも歴が長く、業界では超のつくほど有名店だった。 警察に摘発されることになった、客同士がわいせつな行為を見せ合うという目玉。この目玉と思いがけず巡りあい、日本で初めてハプニングバーを作った男がいる。 東京・新宿歌舞伎町の中心部。周囲に溶け込むようにして一棟の雑居ビルが建っている。かつてその雑居ビルの一室で、当時39歳だった川口敏喜(65)はハプニングバー『ピュアティ』を開店した。川口は言う。 「変態が集まる単なるバー。それが元々のコンセプトだったんですけどね」 川口は青山『グレーホール』という変態が集まるバーで、Yという男と出会った。’96年のことだ。そのYが、川口を含めた常連客たちのためにと歌舞伎町にカップル喫茶『グランブルー』を作ったことで、川口は単独女性を何人も連れてよく遊びに行っていた。 カップル喫茶とは、男女同伴の条件で入店できる喫茶店である。ソファ席の他に、プレイルームとシャワールームもあり、そこでスワッピング(複数のカップルがお互いのパートナーを取り替え、同室もしくは別室で行う集団的性行為)するのが同伴喫茶と一線を画すインフラだ。いまは同じ業態として括られてもいるが、昔の同伴喫茶のシステムにスワッピングはない。『グランブルー』は、そこからさらに飛躍してカップルだけではなく単独男性も受け入れることで勝負にでていた。 結果、革新的なアイデアで大繁盛したとはいえ、選ばれし変態たちが集まるコミュニティを作るという当初のコンセプトから外れていく『グランブルー』に、しだいに川口の心は離れていった。さらに川口が連れてきた単独女性がトラブルにあってもフォローもなく、「女性はタダで飲み食いさせてやってるんだからリスクがあって然るべし」と一蹴されたとあれば、もうここは自分たち変態の居場所じゃない。 「だからカップルでも単独男女でも嫌な思いをせず、楽しく変態できる場所を作りたくなったんです」(川口) 理想を求めて『ピュアティ』を始動させるのは、和歌山県和歌山市園部で発生した、67人が急性ヒ素中毒となり、うち4人が死亡した「和歌山毒物カレー事件」後の’98年10月からだ。コンセプトは決まった。でも、変態を集めるにはどうしたらいいのか。それには同伴喫茶でもカップル喫茶でもない、新たなキャッチコピーが必要だろう。当時はハプニングバーという言葉はもちろん、その概念すらない。「21世紀型のアダルトバー」。悩んだ末、とにかく『グランブルー』と差別化するべくそんな意味深なコピーを添えて日刊ゲンダイ紙に三行広告を打つところから始めた。 反響はデカく、全国から変態たちが集まるようになった。露出趣味がある男女が全裸になるなど日常茶飯事だ。ある日、ひとりの客が冗談まじりに言った。 「どうせならしちゃいなよ」 すると男女がノリで性行為に興じた。 川口にとってそれは、偶然で突発的な出来事に違いなかった。周囲も「こんなハプニングもあるんだね」と囃し立てた。かくして「21世紀型のアダルトバー」は「ハプニングバー」へと昇華する。はじまりは「まさしく〝ハプニング〟だった」と川口は話す。 ハプニングバーのルーツは偶然の産物だった。ハプニングを元に川口が命名した。『ピュアティ』の独創性を知ったAVメーカーが、それからしばらくしてハプニングバーの実態を描いたDVDの共同制作を川口に打診する。しかしハプニングバーでは、性行為が日常的に行われていた。そのため目立つことはあまり得策ではない。何度か断った後にDVDがリリースされるまで、川口とAVメーカーの間でこんな密約が交わされたという。 「表向きはあくまでカップル喫茶で、ハプニングバーの単語は伏せるという口約束があった。でもAVメーカーは、それを破ってハプニングバーとして出しちゃったんです」 ハプニングバーという単語が流布した背景である。 寝首を掻かれた川口に当時の思いを聞いた。 「やはり、いままでアンダーグラウンドでやっていたものがメジャーになっちゃった。それでちょっとおかしくなっちゃったんですよ」 まさに川口が危惧していたとおり、そこからフェーズが変わる。 取材・文:高木瑞穂 1976年生まれ。月刊誌編集長、週刊誌記者などを経てフリーに。書に『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』、『ルポ新宿歌舞伎町路上売春』がある。コミック『売春島1981』の原作も
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