「集中治療室にいる娘に泣きながら授乳していた」長谷部真奈見 出産翌日に娘がダウン症疑い「その時夫がとった行動」
出産翌日にダウン症の疑いがあると医師から告げられた、フリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。診断確定までの1か月、そのとき夫がとった行動とは。(全5回中の2回) 【画像】「どのハンバーグより美味しかった!」真奈見さん45歳の誕生日に娘が作ったハンバーグの「調理の姿にも感動!」など(全13枚)
■院内では腫れ物を触るように ── 2008年8月に娘さんを出産。その翌日に医師からダウン症の可能性があると言われ、出産から1か月後にダウン症と診断されました。まずダウン症の可能性があると言われてどんな心境でしたか? 長谷部さん:当時はとっさに人生終わった…と思ってしまったんです。自分で言うのもなんですが、妊婦として結構な優等生だったと思うんです。適度に体を動かして睡眠も十分にとり、飲み物はカフェインが入っていないルイボスティーにしました。食事も体にいいと言われるものを積極的に口にして、できるだけ真面目に過ごしていたんです。それなのにどうしてだろうって。自分が思い描いていた人生とあまりに違いましたね。
── どんな人生を思い描いていましたか? 長谷部さん:かわいいお洋服を着せてママ友たちとランチとかして。お受験を頑張って有名校に入って、習い事もピアノやバレエ、フィギュアスケートなどいろいろ習わせて。ちょっと大きくなってきたら娘と一緒にショッピングに行くとか、そうしたキラキラしたものを思い描いていました。 私が勝手に願っていただけです。実際はダウン症があっても思い描いていた半分以上のことは出来ましたし、新たな人生が始まっていきましたが、当時はまったくそんな気持ちにはなれなかったですね。
── 出産から1週間後に長谷部さんが退院。その1週間後に娘さんが退院されましたが、病院でも家でもかなり思い詰めてしまったとか。 長谷部さん:私があまりに精神的に不安定だったので、家族も私にかける言葉は気をつけていたでしょうし、腫れ物に触るような感じでしたね。私の行動に家族が不安を感じ、トイレは必ず開けっぱなしで鍵はしない。パジャマも病院で貸し出している紐つきのものではなく、被りタイプにするとか。夫も会社を休んで24時間つき添ってくれました。ご飯を買ってきて病室で一緒に食べたり、極力私がひとりにならないようにしていたと思います。