奥田民生×渡辺満里奈 デビュー時を振り返る 奥田「事務所に行くと誰かが飯を食わせてくれるんですよ(笑)」渡辺「そうそう『香妃園』とかね」
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、ミュージシャンの奥田民生さんと、タレントの渡辺満里奈さん。同じ事務所に所属するお2人が、お互いのデビュー当時を振り返りました。
◆デビュー年が近い2人、事務所での思い出
渡辺:私、1986年デビューなので、デビューして38年なの。 奥田:お~! すごいじゃん。 渡辺:たぶん、二十歳ぐらいのときに(奥田の)THE BAND HAS NO NAMEをやっていたから……。 奥田:まだ二十歳だったんですね。デビューしたのは4歳ぐらい(笑)? 渡辺:違う(笑)! 15歳でデビューしたの。デビューしたのはいくつだったんですか? 奥田:21歳ぐらいですかね。 渡辺:じゃあ、高校卒業して東京に来た感じ? 奥田:すぐじゃないですよ。東京に来たのは二十歳を超えてからです。 渡辺:私がおニャン子クラブにいた当時は、SMAが「エイプリル・ミュージック」って名前で、そこに入ったときには、デビューはしていないけどすでにユニコーンがいたような気がしたんだけど。 奥田:デビューがその次の年なので、いたんじゃないですか。事務所が六本木にあったでしょ。とりあえず打ち合わせみたいなことで事務所に行くと、誰かが飯を食わせてくれるんですよ(笑)。 渡辺:そうそう。「香妃園(コウヒエン)」の特製とり煮込みそばとかね(笑)。 奥田:だからね、困ったら事務所に行けばいいと思って。当時僕は大塚に住んでいて、大塚から六本木までけっこうあったんですけど、デビュー前からよく行ってましたね。 渡辺:そのときに民生くんとかスパゴー(SPARKS GO GO)とかが、事務所をウロウロしていた印象がすごくある。 奥田:してたね。ちなみにスパゴーってその前は「Be Modern」ってバンドでしたけど、俺らの1年前ぐらいだと思うので、デビューは一緒でしょ? 渡辺:そう! 奥田:年はほぼ一緒ですけど、あそこも先輩だから。僕、当時はまだいろんなことがよくわからなかったんですよ。 渡辺:でも、デビューしてすぐに売れたじゃないですか。 奥田:そうですね、割と早かった。 渡辺:そういうのって、ちょっと思い描いていたりしていたんですか? 「世界が変わって見えた」とかってありました? 奥田:それがですね、全く計画もなかったですし、目標みたいなものもなかったんです。 渡辺:うふふ(笑)。 奥田:人によっては「ドームでやる」とか「武道館だ」とか、あるじゃないですか。 渡辺:全然なかった? 奥田:うん。メンバーのなかには誰か(野望とかは)あったかもしれないですけど、それぞれが恥ずかしくて言わないみたいな感じでしたね。 渡辺:じゃあ、最初から自然体な奥田民生だった? 奥田:自然体っていうと聞こえがいいですけど、何にも知らないから流れのままやっていただけですよ。「次これです」「はいはいはい」って。いいとか悪いとか、「俺たちはこれでいいのか?」とか、まったくなかったもんね。 渡辺:そうなんだ。