東京でも「1.17」ともす 阪神大震災24年 神戸から分灯
「呼称」のある阪神大震災、関連死も多数
改めて、阪神・淡路大震災とはどのような災害だったのかを振り返ってみる。 1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源としたマグニチュード(M)7.3の地震が発生した。神戸市や洲本市で震度6を観測。後に、気象庁の地震機動観測班の現地調査によって、神戸市や淡路島の一部地域で震度7相当の揺れがあったことも明らかになった。地震の規模は、2016年4月の熊本地震の本震とほぼ同じ。活断層が動いたことによって地震が発生したことも共通している。 この地震は、気象庁によって「1995年兵庫県南部地震」と命名され、政府はこの地震が引き起こした災害を「阪神・淡路大震災」と呼称することを決めた。2011年3月の東日本大震災も、災害を引き起こした地震は「東北地方太平洋沖地震」。地震だけではなく、災害そのものに呼称があるのが、平成に発生した2つの大災害の特徴といえるだろう。 内閣府(防災担当)の資料によると、阪神・淡路大震災の犠牲者の多くは自宅において被害に遭ったと考えられている。中でも戦前の木造住宅が比較的多く残っていた地域での死者が多かったという。死因の大半は、家屋の倒壊や家具の転倒による圧迫死だったが、震災に伴う過労、病死などの「震災関連死」も高齢者を中心に多く発生した。 高齢者、低所得者の犠牲が多かったのも特徴だ。また、外国人の死亡率も日本人と比較して高かったとされている。「災害は社会の脆弱性を顕在化させる」といわれるが、阪神・淡路大震災はまさにこのことを証明した災害だった。 また、阪神・淡路大震災が発生した年には延べ137万人がボランティアとして活動し、大きな力となった。このことから、1995年は「ボランティア元年」とも呼ばれ、1月17日は「防災とボランティアの日」、1月15日~21日は「防災とボランティア週間」となった。 飯田和樹・ライター/ジャーナリスト(自然災害・防災)