インタビュー(2)日本サッカー協会・宮本恒靖会長が震えたマラドーナと中3の中田英寿、ガンバ監督の言葉「初めて意識したプロ選手の先にある監督」
■「体幹の強さ」は当時から群を抜いていたヒデ
――大阪府立生野高校に進学、同時にガンバ大阪のユースに加入したのですね。 「はい、ちょうど1992年で、ガンバのユースがスタートしたときでした」 ――生野高校は松原市にありますが、やはり南河内地域で、ガンバ・ユースの練習場に通うのは大阪縦断という形だったのではないですか。 「はい、高校から電車を乗り継いで千里中央まで行き、そこからバス。1時間20分ぐらいかかったでしょうか。月曜日以外は毎日、練習がありました。帰りは1時間半ぐらいかかりましたね。でも大変だなんて、まったく考えませんでした。すぐに慣れましたし、U-17の代表に選ばれるなどもあって、自分が伸びている、夢であるプロに近づいているという実感があり、まったく苦ではありませんでした」 ――サッカーにのめりこんだ瞬間は? 「自分があるグループにいて、誰よりもシュートを決めることができるとか、何か秀でたものがあるのではないかと感じられたときですね。富田林市の選抜から、南河内地域の選抜、大阪府の選抜と上がっていくと、うまい選手がいるわけですよ。もう自分がめちゃくちゃ下手だなという感じです。この人たちに追いつくには、このグループで認められるには、どうしたらいいんだろうということの繰り返しでした」 ――なるほど。 「この人は何でうまくいくんだろう、この人のフェイントを真似てみよう、蹴り方を真似してみようと、そういうことを繰り返して、自分が少しずつ集団の中で認められる、超えていくということを、サッカーを通して体験することができた。自分の成長を感じられる喜びが、大きなエネルギーになりましたね。もちろん、その次に関西選抜にいくと、またうまい選手がいる。また自分を磨くということの繰り返しですよね」 ――ショックを受けた選手はいましたか。 「U-15日本代表の候補になると、財前宣之や中田英寿といった選手がいました。中田はまだ中学3年生でしたが、右45度からゴールの左サイドネットに突き刺さる強いシュートを打っていました。体幹の強さは当時から群を抜いていました」
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