大阪・真田幸村の最期の地で慰霊祭 悲運の名将しのぶ
幸村戦没の地・安居神社で慰霊祭 THE PAGE大阪
大坂の陣で活躍した武将・真田幸村の最期の地とされる大阪市天王寺区の安居神社で5日、「真田幸村公戦没400年慰霊祭」が営まれた。幸村ゆかりの人々や詰めかけた幸村ファンが、悲運の名将幸村をしのぶとともに、改めて人間幸村の魅力を分かち合っていた。
意思を曲げず力の限り戦う
式典には、真田家や幸村の盟友だった後藤又兵衛家の関係者、氏子総代を務める大丸関係者、地元天王寺区長などが出席。「真田の赤備え」と呼ばれ、赤いよろいかぶとに身を包んだ大阪城鉄砲隊などが隊列を整えて結集し、慰霊祭に格式と華やぎを添えた。 中島一熈(かずひろ)宮司が祝詞を奏上。「世の中が激しく移り変わり、豊臣家が衰える中、意思を曲げずに、大坂の陣で力の限り戦った」などと、幸村の功績をたたえた。参列者の代表が玉串を捧げ、あいさつに立った関係者からは、幸村とのかかわりなどが次々と報告された。
「僕にできないことができる幸村を尊敬」
式典終了後、バッグに六文銭の缶バッチを付けた20代女性に声をかけると、京都の大学で学ぶ台湾からの留学生だった。「幸村のまっすぐな生き方が好きです。日本の戦国時代に関心があり、いろいろなお城へ出かけています」と、意外な歴女ぶりを披露してくれた。 友人で台湾から旅行でやってきたという男性会社員(36)も、京都留学時代に幸村と出会った。「真田十勇士」のリポートをまとめるうちに、すっかり幸村ファンに。「大坂の陣は豊臣方の負け戦になると分かっていたはずなのに、幸村はいのちをかけて豊臣のために戦った。僕にはできないことができる幸村を尊敬しています」と話した。 ふたりによると、台湾ではNHKの大河ドラマが放送されるなど、ドラマを通じて日本の歴史に関心を持つ若者たちが増えているという。
力尽きたが満足していた最期の幸村
中島宮司は「幸村公は徳川方からの誘いも断って、豊臣家に忠誠を尽くした。筋を貫く一本気なところが、若い女性たちにも慕われているのでしょう」と分析する。 400年前の5月7日、夏の陣。敗色濃厚な豊臣方の活路を開くため、幸村は徳川家康の本陣へ突入。家康を討ち取る寸前まで迫ったが、武運つたなく反撃に遭う。安居神社付近が最期の地となった。 武将の銅像は馬上で剣を振りかざすなど、勇ましい姿が多いが、中島宮司は幸村像の建立に際し、あえて座像を選んだ。「力尽き、勝利することはかなわなかったものの、幸村公はもう十分戦ったと満足しておられたのではないか」と考えたからだ。 座像の幸村は、西に向かって腰を下ろしてゆったり構え、まなざしを遠くに向ける。古代から上町台地は、沈む夕日にめい想する鎮魂の場所とされてきた。戦いを終えた幸村の目に、何が写っているのだろうか。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)