長友応援の明大もJの川崎相手に“あわや”の善戦
全国各地で発生したジャイアントキリングの渦が、等々力陸上競技場でも起こりかけた。川崎フロンターレが1-0でリードして迎えた後半アディショナルタイムの3分。J1を連覇している王者を運動量と走力で上回っていた明治大学が、千載一遇のビッグチャンスを迎えたからだ。 右サイドからMF岡庭愁人(2年)が、ファーサイドへクロスを入れる。標的となった身長180cmのFW中川諒真(4年)が、元日本代表DF車屋紳太郎と競り合いながら中央へボールを落とす。完璧なタイミングで走り込んできた、MF須貝英大(3年)を阻むフロンターレの選手は誰もいなかった。 3日に行われた第99回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦。東京都予選を勝ち抜き、5年ぶりに臨んだ大舞台で訪れた最大のハイライト。スタジアムを揺るがし始めた大歓声は次の瞬間、ゴールポストの左をかすめて外れたシュートの弾道とともにため息へと変わった。 「相手キーパーの位置を見るというよりも、右足のインステップで丁寧にミートして、速いボールを左隅に飛ばそうと意識していました。ただ、ちょっと(軸足の左足が)深く入りすぎてしまって」 シュートを外した直後に仰向けに倒れ、両手で頭を抱えた須貝が悔しそうに振り返る。落ち着いていたし、ボールの芯をしっかりとらえてもいた。しかし、軸足に生じたほんの数センチのずれが弾道を狂わせた。約30秒後に敗戦を告げる、無情のホイッスルが雨空に響きわたった。 「あの場面は完全にフリーだったし、自分がしっかり決めていれば延長戦になって勝ちきれる可能性もあったのに。チームに申し訳ない。あそこで決めるかどうかが、プロとの違いだと思いました」
リーグ戦の合間を縫う形で天皇杯を戦うJクラブ勢に対して、明治大が首位を快走している関東大学リーグ1部は6月2日をもって中断期間に入っていた。そして、中断する直前に行われた天皇杯1回戦で、明治大はJ3のブラウブリッツ秋田に3-0で快勝している。 放ったシュート数は、明治大の19本に対してブラウブリッツはわずか3本。内容でもJクラブを終始圧倒した手応えを自信に変えて、この1か月間は相手の背後を狙ってくるフロンターレの攻撃に対する守備を徹底的に反復。J1王者を倒す超特大のジャイアントキリングに照準を合わせてきた。 「この大会の初戦はいつも簡単ではない。特に今回はウチがJリーグから中2日で、今週末にもJリーグがあるのでメンバーも変えなければいけないところがある。相手は準備万端でモチベーションもマックスと、いろいろな条件があった。なので、今日は勝ったことがすべてだと思う」 後半16分から投入され、約1か月ぶりに公式戦のピッチに立った大黒柱のMF中村憲剛が、メンタル的に難しい天皇杯初戦を乗り越えたことに安どの表情を浮かべた。中村が言及した数々の要素が、2回戦でJ1クラブが4つも姿を消した理由を物語ってもいる。 たとえば名古屋グランパスが鹿屋体育大学(鹿児島県代表)に喫した0-3の完敗が、アマチュアの大学生との一戦へ臨む難しさが、大番狂わせに発展した典型的な一戦となる。フロンターレを率いて3年目になる鬼木達監督も、大苦戦を強いられた遠因を明治大のタフネスさに帰結させた。 「カテゴリーが下のチームに対して上手く試合を進められない、という状況へ少しずつジレンマを感じながらプレーしていたことで、頭を止める形になり、判断もすごく遅くなってしまった」 明治大の練習は早朝6時から2時間、週に6回行われる。そして夜には週に一度、大手ゼネコンのサラリーマンと兼任しているサッカー部OBの栗田大輔監督(48)の人脈を駆使して、サッカーには関係ないゲストを招いてミーティングを開催。人間としての成長をも後押ししてきた。 しかし、フロンターレとの大一番を前にした、6月27日のミーティングは違った。日本代表DF長友佑都(ガラタサライ)の専属コーチ兼トレーナーをイタリア時代から務め、2017年までは明治大サッカー部のスタッフにも名前を連ねていた鬼木祐輔氏(35)を招いた理由を、栗田監督はこう説明する。 「フロンターレ戦へ向けてすごくいい準備ができたので、最後に学生たちを勇気づけてほしいと思いました。世界を感じられ、もっと先の夢が見られるような、希望のわくような話をしてほしいと」 刺激はすぐに注入された。たとえばキャプテンのFW佐藤亮(4年)は鬼木氏との再会を喜ぶとともに、今週月曜日には1対1のトレーニングを希望。「もう一度(鬼木さんから)学びたかったので」と動き出しの練習などを精力的にこなし、フロンターレ戦への総仕上げにあてた。