大阪環状線・寺田町駅で発見の旧駅名標「鉄道遺産」として保存へ
29日に保存工事を終えお披露目
歴史を物語るJR寺田町駅の旧駅名標(写真は昨年9月撮影) THEPAGE大阪
JR西日本で2013年から行われている「大阪環状線改造プロジェクト」。これにより、各駅に発車メロディが導入されたり、各駅で改良工事が行われるなどしているが、昨年8月、同線寺田町駅(大阪市天王寺区)の駅舎改良工事の際、古い駅名標が発見された。おそらく、開業した1932年(昭和7)のものとみられるが、同社はこのほど、この「貴重な鉄道遺産」として現地で保存することを決めた。現在、保存工事中だが、29日に工事を終え、公開される予定。
右から左への横書きの形跡などから開業時のもの?
同社によると、昨年8月28日に同駅の2番のりば(外回り)ホームの壁面で、塗装作業のため広告看板をはずしたところ、この古い駅名標を発見したという。 壁に直接描かれており、うっすらと(向かって)右から左への横書きの形跡があることから、駅名標自体は戦前に設置されたものとみられ、1932年の同駅開業時のものである可能性があるという。 そうだとしたら、この周辺では1945年の大阪大空襲もあり、同駅から約1キロも離れていない四天王寺などは爆撃を受け建物が焼失するなどしており、駅名標はそれらの戦火を乗り越え、時をへて昨年姿を現したこととなる。
歴史学専門家が考える開業時のものと示す根拠
この駅名標が発見されて間もなく、THE PAGE大阪で鉄道ライターの伊原薫さんが、地元・寺田町出身の歴史学専門家の伊藤文彦さんを取材。伊藤さんは「左書きの表記は昭和初期には広まっていた」「『ょ』(小文字)を『よ』(大文字)と記載していることから、政府が「現代仮名遣い」を公布した昭和21(1946)年以前である」「『区』が口3つの旧字体から現在の字体になったのも、同年に公布された「当用漢字表」によるので、それ以前である」ということなどから、開業時のものではないかと話してくれた。 広告看板の後ろに、かくれてはいたものの、長年にわたりこの駅のホームを見守っていることには違いない。同社は今回「歴史を物語る重要な史料であり、長きにわたり大阪環状線を見守ってきた貴重な鉄道遺産として、現地で保存することにした」としている。
地元女性「覚えないけど懐かしさ感じる」
29日午前には「復元保存工事完成記念除幕式」が行われ、一部欠損していた部分などが復元された上で、晴れてお披露目となる。 27日午前、同駅ホームで保存工事の囲いが気になっていたという50代の女性は「子供のころから地元なんで普段当たり前のように使ってますけど、こういうものが出てくると『すごいやん』という気持ちになるし、見たことがないはずだけど、なにか懐かしさを覚えた気がします。子供や孫にもこうした古い字を使った味のあるものを見てほしいですね」と話していた。 この寺田駅を見つめてきた駅名標は、披露されることにより、どんな歴史を後世に伝えてくれるのだろうか。間もなく、お披露目の時を迎える。