岩手・釜石で被災した洋食店の味、夫婦で再び 再建の夢を追い、盛岡に喫茶店オープン
東日本大震災の津波で流された岩手県釜石市の洋食店「ポートまえの」のオーナー前野隆彦さん(60)が1日、盛岡市で再び調理場に立った。妻の中條いずみさん(44)と二人三脚で喫茶店を開き、釜石時代の味も再現。2人は「気取り過ぎず、ちょっとおいしい。ほっとできて、日常と一続きの場所にしたい」と話す。 ■ギャラリー併設 盛岡市紅葉が丘に構えた新たな店は「キッチンアンドアトリエ 手から手へ」。ポートまえのの人気メニューだったハンバーグピラフ、通称「ハンピラ」をはじめ、スパイスカレーなどを提供する。2階はギャラリーとし、中條さんや長男の孝介さん(18)が描いた絵画などを展示する。 ポートまえのは前野さんが小学3年の頃、脱サラした父が釜石市只越町で開業した。海から約100メートル、商店街の端にあった店舗は調理パン屋や喫茶店を経て地元で愛される洋食店となり、材料を吟味して家族で切り盛りしていた。 2011年3月11日、前野さんは営業中の店で尋常ではない揺れに襲われ、家族と裏山へ必死に走った。30分もしないうちに「まるでパニック映画の中に飛び込んだ」ような光景を目にする。建て替えたばかりの3階の自宅兼店舗が、押し寄せた津波にのまれた。 親戚の店などで暮らした後、父の実家があった盛岡に避難。「家も仕事も失った」と絶望から始まった新生活だが、中條さんと出会い結婚、病院で調理補助の仕事に就いた。店の再建を考える余裕まではなかった。 ■2度の転機経て 転機は2度あり、最初は20年10月。地元紙の復興企画で1日だけ店を復活した。毎朝コーヒーを飲みに来た常連、初めての家族連れら客足は途切れず、味わって懐かしさに涙する人もいた。「愛されていたと実感した。プレゼントのような時間だった」と振り返る。 一時的に心に火が付いたものの、現実は厳しかった。「お金がなく、時がたって気持ちも薄れた。『無理、(再建は)来世だ』って。あの1日でポートまえのとしての区切りが付いた」 再びの転機は23年4月。中條さんが、雑貨屋を営む友人から移転に伴い空き店舗を使わないかと持ちかけられ、即決した。帰宅して「お店やるから腹くくって」と前野さんに迫った。 「捨て切れない夢があったところに『そう来たか』という感じ」と前野さん。「分かった」と即答した。 2人で起業塾に通い、長い準備を経て迎えたオープンの日。近隣住民や釜石時代の知人らでにぎわい、津波に流されず残った二つのフライパンで料理を振るまった。前野さんは「オープンできるのか不安だったが、応援してもらっていいスタートを切れた。夢のようだ」と喜びをかみしめた。
河北新報