福島で今何が起きているのか…映画『生きて、生きて、生きろ。』が問う「自助努力」「自己責任」の限界と、あるべき社会の姿
頑張れっていうけれど…
「オリンピックなんて、外国のことみたい――」 岩手県陸前高田市の仮設住宅にお邪魔し、住人のおばあさんとテレビを眺めていたときのことだった。華やかに報じられる「東京五輪開催決定」のニュースを目にした彼女が、ふとこう呟いたのだ。 【写真】ホッキメシと私の故郷双葉郡…「3.11後の福島」にようやく見えてきた光 外の通りでは絶えず、土砂や瓦礫を運ぶダンプカーが砂埃を舞い上げ、その轟音が仮設住宅の薄い壁ごしに響いてくる。ニュースキャスターたちの嬉々とした声色は、私自身にも「遠い世界」のもののように感じられた。 震災後、「頑張ろう」「前を向こう」という言葉が絶えず耳に届いてきた。確かに「前を向こう」「復興の力になろう」と努める人たちの姿にも、取材を通して触れてきた。一方、「その和を乱してはいけない」「だから我慢しなければ」と、自身に言い聞かせている人たちにも出会ってきた。 とりわけ東京電力福島第一原発で起きた事故の影響を受けた人々は、「語らないように、悲しまないように」という過剰な緊張状態を強いられ続けている。あの東京五輪はむしろ、そうした人たちの声を「封じる力」を強めたのではないか――映画『生きて、生きて、生きろ。』を見て、その疑問は確信に変わっていった。 映画には、「こころ」に様々な悩みや問題を抱える当事者たちの姿が映し出される。事故後の避難指示によって夫の捜索活動が中断されてしまったという女性は、「頑張れっていうけれど、何を頑張れっていうの?」と、心情を吐露する。 県外への避難を余儀なくされた父親は、公的な住宅支援を打ち切られたことで困窮し、家族と離れ単身、除染作業に従事している最中に、息子を自死で失った。「生きていくしかない」「死にたい」――朦朧としながら、そのはざまで揺れ動き続ける。 不況で建設関係の仕事が減る中、福島での除染作業にたどり着いた男性は、その請負会社も夜逃げ同然で去っていったと語った。二人とも、アルコールに依存する状況が続いていた。けれども家から一歩外に出れば、そこには「悲しみを乗り越える」ことを「正解」とする社会が広がっている。 「明かりが見える」「勢いがついてきた」と菅首相(当時)は誇る。確かに駅周りの「見えやすい場所」はこぎれいに整備された。一方、映画に登場する人々は、自らの内面を可視化し、届ける術を持たない。首相の語る「復興の決意」は、私の耳には空しく響いた。 五輪・聖火リレーの「スポンサー」たちが派手なトラックを走らせ、沿道に笑顔をふりまく様子は、不都合を覆うための「ウォッシュ」にしか思えなかった。