TBS退社「ふてほど」P磯山晶氏どんな人? AD時代に漫画家デビューの異色経歴 手掛けたドラマは…
今春に社会現象を巻き起こしたTBSの連続ドラマ「不適切にもほどがある!」を手掛けた磯山晶プロデューサー(56)が同局を退社することが10日、分かった。関係者によると、今後フリーのプロデューサーとして活動していく。 【写真】「ギャラクシー賞」贈賞式に登壇し、“チョメチョメ”ポーズで会場をもり上げた阿部サダヲ。磯山晶プロデューサーも笑顔 スポニチアネックスの取材では、今月1日付で、2019年から出向していたTBSグループ映像制作会社「TBSスパークル」から同局「人事労政局預かり」となり、現在有給休暇を消化している。 磯山氏はTBSのヒットメーカーとして知られているが、ドラマプロデューサーとなるまでは異色の経歴の持ち主だった。 上智大学文学部新聞学科在学中には「週刊朝日」の女子大生シリーズで写真家・篠山紀信さん撮影で表紙を飾った。1990年に卒業後にTBS入社。「ふぞろいの林檎たち」や「想い出づくり。」という同局の名作に感動し「ドラマが好き」が理由で同局を志望していた。入社後には、あこがれていたドラマ部に配属されたが、ADの仕事ができず、向いていないことに気付いた磯山氏は同局のホームページによると、「仕事ができないから辞めるのはかっこ悪い。別の道に進むという理由でかっこよく辞めるために」と漫画描いてを新人賞に応募。漫画は高校時代に描いていたという。結果、賞を受賞し、漫画家デビュー。そして「プロデューサーになりたい」という作品の連載を始めた。隔週連載で漫画を描き「当時はすごく辛かった」そうだが「独自の表現媒体を持ったことで他の社員にはない強みができたのはよかった」と振り返っている。 その後、96年の連続ドラマ「キャンパスノート」でプロデュサーデビュー。磯山氏プロデュース、宮藤官九郎脚本のタッグで作り上げた「池袋ウエストゲートパーク」(2000年)、「木更津キャッツアイ」(02年)、「タイガー&ドラゴン」(05年)のほか「空飛ぶ広報室」(13年)など多数のヒット作を手掛けた。チーフプロデューサーを務めた「俺の家の話」(2021年)では芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。 プライベードでは、既婚者で夫はTBSの幹部社員。 退社後について、ドラマ関係者は「磯山さんは周囲に“退社し、ドラマを作り続けます”とすでにあいさつをしています」と話している。 宮藤&磯山氏の最強タッグでコンプライアンスに縛られる令和の時代に一石を投じた「ふてほど」の続編についても、局内では「円満退社。制作するとなれば受けてくれるはず」との声が上がっている。