高木長左衛門の観音巡り(7月21日)
通行手形にある「萬[まん]一[いち]の儀[ぎ]、御[ご]座[ざ]候[そうら]はば」以下の文面から推測を巡らせ、この時の長左衛門たちの旅が命がけのものであったと考えるのは、少し大[おお]袈[げ]裟[さ]に過ぎるだろう。しかし、生きて帰ることが出来ないかもしれないという一抹の不安を抱きながら、長左衛門たちが旅を続けていたことは確かだろう。 ところで、長左衛門たちはこの時の八十二日間の旅で七百十八里、約二千八百七十二キロを歩いたという。つまり、一日に約三十五キロを歩いたことになる。やや速めの時速五キロで歩いたとすると、毎日七時間、歩き続けた計算になる。 小一時間のウォーキングで息を切らし、音を上げてしまう私には、毎日七時間の歩行を八十二日間も続ける旅など、到底、なしえない。(夏井芳徳 医療創生大学客員教授)