同級生から「お前の髪の毛には汚れがたまってる」「ばい菌だ」と攻撃され…自殺を考えた副島淳(40)が明かす、壮絶なイジメと母親の意外な反応
NHK『あさイチ』などで活躍するタレントの副島淳さんが、唯一無二のキャラクターを活かした活動ができるようになるまでの道のりは、平坦ではなかった。「見た目」の違いから小学生の時にはいじめに遭い、自殺を考えるほど追い詰められた。 【画像小学2年で外国人に誘拐、手足を縛られた副島淳さん 芸能活動を始めた後も、ステレオタイプな役を求められ、葛藤があったという。そんな副島さんは、「“逃げ”が今につながった」と話す。その真意を聞いた。(全2回の1回目/ 続きを読む ) ◆◆◆
英語はまったく喋れない、下町育ち
――副島さんは下町育ちだそうですね。 副島淳さん(以降、副島) 大田区蒲田で生まれ、その後、葛飾で過ごしました。日本からずっと出たことがなくて、海外に初めて行ったのは32歳。英語もまったく喋れないです。 ――生まれ育ったご家庭はどんな感じでしたか? 副島 お母さんが日本人で、お父さんはアメリカ人なんですけど、母は未婚のまま僕を生んで、父もすぐ蒸発してしまったので、顔も知らなかったです。 小さい時は母と母方の祖母とワンルームに3人暮らしで、貧乏でしたけど、おばあちゃんがずっと世話してくれてたし、たぶん満たされていたんでしょうね。お父さんのいない環境を特殊とか変とかって思うこともなかったです。 ――小さい時にミックスルーツであることを意識することは? 副島 まったくなかったです。ずっと日本語しか使ってなかったし、見た目の違いを感じるようなこともなく。 ただ、小学校3年生の時に浦安に引っ越してからいじめに遭うようになって、それまではたまたま幸運だっただけと思い知ったというか。
複雑な事情で、礼儀作法に厳しいおばあちゃんの元へ
――引っ越しの理由は? 副島 5、6歳の時に母がそれまで付き合っていた方と結婚したんですけど、その後離婚することになって。これもちょっと複雑なんですけど、離婚相手のおばあちゃんが住んでいた浦安に、僕たちが一緒に暮らすことになったんです。気前がいいというか、懐の深いおばあちゃんで、「これから母子でどうしよう」という時に声をかけてくれて助かったと思います。 おばあちゃんは三味線の先生だったこともあって、礼儀作法にめちゃくちゃ厳しくて。箸の使い方から正しい正座の姿勢まで、いろいろと教えてもらいました。 ――子どもとしては大変でもありそうな。 副島 まあ、当時はめんどくせーって感じしかなかったですよね(笑)。関西の人だったから味付けも出汁がベースで、子ども的には「味薄っ」って(笑)。 ――礼儀正しいお子さんということかと思うんですが、いじめが始まったきっかけは。