社長として“元アスリートのセカンドキャリア”を支援!元プロ野球選手・江尻慎太郎「思い描いていた社長像とは違ってハードですね(笑)」
藤木直人、高見侑里がパーソナリティをつとめ、アスリートやスポーツに情熱を注ぐ人たちの挑戦、勝利にかける熱いビートに肉迫するTOKYO FMのラジオ番組「SPORTS BEAT supported by TOYOTA」(毎週土曜 10:00~10:50)。5月4日(土・祝)の放送は、元プロ野球選手の江尻慎太郎(えじり・しんたろう)さんをゲストに迎えて、お届けしました。
江尻さんは、1977年生まれ宮城県出身の47歳。仙台第二高等学校を卒業後、2年間の浪人生活を経て、早稲田大学に入学。2001年のドラフト自由獲得枠で日本ハムファイターズ(現:北海道日本ハムファイターズ)に入団。 その後、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)、福岡ソフトバンクホークスと3球団を渡り歩き、1軍では通算277試合登板、28勝20敗1セーブを記録。2014年シーズンをもって現役を引退し、現在はAcroBats(アクロバッツ)株式会社 代表取締役社長として手腕を発揮しています。
◆元アスリートのセカンドキャリアを支援
藤木:AcroBats株式会社は、何をする会社でしょうか? 江尻:福岡ソフトバンクホークスの100%子会社なんですけれども、主に引退したアスリートの活躍の場をつくっています。簡単に言うと、プロ野球の解説者の派遣や講演会などのイベントに元アスリートを派遣して、アスリートと社会の接点をつなぎながら“豊かな社会をつくっていこう”という会社です。 野球に限らず、いろいろなアスリートの方を福岡や県外に(派遣して)、各地のスポーツ振興に協力する。(そういう事業を)今どんどん拡大しているところです。 藤木:江尻さんは、いつ頃からセカンドキャリアについて意識されましたか? 江尻:現役時代は、ほぼ意識していなかったです。ライバルにダルビッシュ(有)投手などがいたので“あんなピッチャーになりたいな”と思ってやっていましたし、辞める直前まで“監督・コーチになれたらいいな”と、野球界だけで活躍したいと考えていました。 藤木:セカンドキャリアについて考えられたのは、現役を終えてから? 江尻:そうですね。現役生活が終わってから、野球界ではなく“ビジネスの世界に一歩踏み出してみてよう”と考えた感じですね。 藤木:実際にビジネスマンとして仕事を始めてみて、戸惑うことはありましたか? 江尻:何も分からなかったです。名刺の渡し方はもちろん、電話の取り方も分からない。(入社したのが)IT流通商社で、扱っている商品が“パソコンのソフトウェアの中身”だったんですけど、(専門的な)言葉が何ひとつ分からなくて。会議に出ても、それこそ、外資系のベンダーさんとやり取りをするのですが(何を話しているかが)本当に分からない。 それで、デスクに戻ってきて、分からなかった言葉をパソコンでたどたどしい手で調べて、それをメモして覚えて……という感じでやっていましたね。毎日、頭から煙が出ている感覚でした。 藤木:しかも、入社した時点で年下の社員さんもいるわけですから、そこもまた大変だったのではないですか? 江尻:でも、そこは“絶対に追いついてやろう!”と思って、ほかの人の何倍もスピードを上げて取り組んでいましたね。だから、プロ野球選手時代にやってきたことって“ビジネスマンになってから活躍するための練習をしていただけだったんだな”って今は思いますね。 藤木:ジャンルは違えども、通ずる部分も多くあったということですか? 江尻:そうですね。元アスリートがセカンドキャリアに情熱を持って活動できないときって、僕は“試合がなくなったから”だと思っているんですよ。現役アスリートには試合があって、試合に向けて真剣に準備をして、勝った負けたで涙を流したり、喜んだりするじゃないですか。 でも、例えば、商談が決まって涙を流して喜ぶ人や、決まらなくて泣いて帰って来る人ってあまりいないんですよ。そこで“(現役時代のように情熱を持って)やればいいのに”って思うようになってから、僕は“毎日、試合をやろう!”と決めています。なので、今も(気持ちは)現役アスリートです。 例えば、私たちから派遣しているプロ野球解説者の方に、突然「日本一の中継をしてください!」って声をかけるんですよね。それで“なにを言っているんだ、お前”みたいな顔をされるんですけど、でも僕は「いろいろなプロ野球中継があるけれども、この試合は日本一の中継にしましょう!」という思いを持って活動してほしいなと思っているので、そのように伝えています。