“邪魔者”が次々不審な死を遂げていく ナワリヌイ氏が急死した「暗殺社会」ロシアの「毒殺の伝統」
ヒ素が「毒の王様」と形容されたのは、その中毒症状により相手を苦しめるのに効果があったからであろう。すぐに死に至らない毒物として、重宝されたのである。20世紀に入ると、政府機関が化学兵器の開発を進めるようになり、先のノヴィチョークもその流れで誕生した。 裏切り者への罰としての毒殺は、ふつう、ロシア人の間ではあまり驚かない雰囲気があるのだが、客観的には恐ろしい殺害行為である。 とくにプーチン政権はロシア愛国主義を前面に掲げており、その風潮のなかで裏切り者への復讐は年々、激しさを増している。「裏切り者の元スパイが毒殺された」というニュースを読んで、妙に興奮するロシア人がいるのも確かである。犯行が凶悪であるほど、ロシア人の愛国心がたぎる。つまり、毒殺はロシア愛国主義を鼓舞(こぶ)するための政治的な手段ともなっているのかもしれない。たんにロシア国歌を斉唱し、風になびくロシア国旗を見ながら愛国心を高揚させるのとは、大違いだ。恐怖心と背中合わせの愛国心といえる。
中村逸郎(なかむらいつろう) 1956年生まれ。筑波大学人文社会系教授。学習院大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。モスクワ大学、ソ連科学アカデミーに留学。2017年、『シベリア最深紀行』で梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。『ロシア市民』『ろくでなしのロシア』などの著作がある。 デイリー新潮編集部
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