存続か、消滅か。来年で契約が切れるF1日本GPの未来はどうなる?
先週、閉幕したばかりの日本GPの将来を憂慮する声が少なくない。 きっかけは日本GPの前週に開催されたマレーシアGPが、今年で19年間の歴史に幕を下ろしたからだ。 本来、マレーシアGPは2018年までF1とグランプリを開催する契約を締結していた。しかし、開催権料が段階的に高くなるシステムになっているのに対して、興行収入は年々、減少していることから、昨年末新しくなったF1の新オーナーであるリバティ・メディアとの協議の末、1年前倒しで2017年限りで打ち切ることを発表した。 最後となったマレーシアGPを訪れたナジブ・ラザク首相は会見を開き、「19年続けてきたが、われわれはここで本を閉じ、ほかのレースに集中しようと決断した」と心境を吐露した。 その翌週に開催された日本GPも、じつは契約はマレーシアGP同様、2018年までとなっている。同じアジアでのF1開催。しかも、日本GPも年々、観客動員数は減少し、今年はついに前年の14万5000人を下回り、過去最少を更新した。開催継続を危ぶむ声があがるのも当然である。 マレーシアGPだけではない。2010年にスタートした韓国GPは4年後の13年に閉幕。11年に始まったインドGPも、韓国GPと同じ13年を最後にF1は行われていない。中東を除くアジアで13年には最大6グランプリ開催されていたF1は、来年は中国、シンガポール、日本の3カ国だけとなる。 だが、近年消滅していったグランプリと日本GPには、決定的に異なるものがある。それは前者(マレーシアGP、韓国GP、インドGP)がレースを興行ととらえてF1を誘致したのに対して、後者(日本GP)はレースを日本のモータースポーツ発展を目的として開催されていることだ。 インドGPは主催者であるジェイピー・スポーツ・インターナショナルがサーキットを建設し、サーキット周辺に併設されている総合スポーツセンターの事業拡大を目的にF1を誘致。韓国GPは韓国オート・バレー・オペレーションが全羅南道が推進する西南海岸観光レジャー都市開発(Jプロジェクト)を成功させるためにF1を開催した。マレーシアGPは99年に、車好きとして知られた当時のマハティール首相が観光振興を目的に誘致。毎年、約3億リンギ(約75億円)の運営費を拠出し、赤字の補填にあてていたと言われている。 これに対して、日本GPの舞台となっている鈴鹿サーキットは、ホンダの創業者である本田宗一郎が、日本のモータースポーツを健全スポーツとして世界的な文化レベルにまで引き上げることを目的に作られたものだった。さらにその鈴鹿で国際的なレースを誘致することが、自動車産業の担い手であるホンダの当然の義務だとして、87年からF1を開催するようになったのである。 韓国GP、インドGP、そしてマレーシアGPは、ビジネスのひとつとしてF1を利用しようとしたが、うまく生かすことができずに赤字となって開催を断念したのに対して、日本GPは日本のモータースポーツ発展のためのひとつとしてホンダ(現在は「モビリティランド」)が誘致したレースであるため、その理念が変わらない限り、F1のカレンダーから消滅することはないのである。 モビリティランドのある関係者も、次のように語る。 「鈴鹿ではF1以外にも、スーパーフォーミュラやスーパーGTを開催されているし、毎年夏にはオートバイの耐久レースである“8耐”も行われている。F1はその象徴的なイベント。日本GPの収支だけで継続するかどうかを決めているわけではない」 モビリティランドの山下晋社長も、「2019年以降については、まだ交渉は始まっていない」と前置きしつつも、次のように語っている。 「われわれとしては、F1日本GPを29回やってきて、F1は続けていく価値はあると感じているし、この伝統を可能な限り続けていきたいと思っている」 F1ドライバーたちが最も愛する鈴鹿での日本GP。それがなくなるように事態になれば、日本のモータースポーツファンだけでなく、ドライバーをはじめてとしたF1界が黙ってはいないだろう。 (文責・尾張正博/モータージャーナリスト)