〈「T・K生」の真実を運んだ人々〉崔善愛
この季節になると、大学1年のあの日のことを思い出す。真実を伝えるのはメディアの責任だが、実は簡単なことではない。 実家に帰省していた昼下がり、居間で母とくつろいでいると、ふと背後で気配がした。振り向くと裏口に面した窓が数センチ開き、男の目がこちらをのぞいている。勇気を出して近づき、「何か用ですか」と窓を開けると、背広を着た男が高い塀を軽々と飛び越え消えていった。 帰宅した父に伝えるときびしい表情で黙り込んだ。父は在日韓国・朝鮮人の参政権を求める運動などで知られた活動家の牧師で、日本の公安警察や韓国のKCIA(韓国中央情報部)からも監視されていた。 ただ不思議だったのは、父は日本国内の人権問題を追及しても、朝鮮戦争や朴正煕軍事政権、金芝河への死刑判決、金大中拉致など韓国・朝鮮に関連した事件には沈黙だった。謎が解けたのは2003年だ。 月刊『世界』の連載「韓国からの通信」が1973年~88年まで軍事独裁政権を告発し、民衆の声を伝えて反響をよび、韓国民主化への共闘を促した。その筆者、T・K生は「池明観」だと明かされたのだ。池先生は父の親友で、日本に亡命していた時期は北九州の実家にいく度も来訪した。父の沈黙はT・K生を守るためだったのだ。 池先生は2022年1月、97歳で亡くなった。今年6月29日、東京での追悼会で、T・K生の担当編集者・山口万里子さんと岡本厚さんから当時のことを聞いた。 「池先生とのやりとりは、検閲や盗聴を避けるために公衆電話でひと言、日時を告げ、ある場所で受け取った原稿を池先生の文体の癖を消しながら筆写し、元原稿や資料はすべて焼き捨てました」(山口さん) KCIAは血眼でT・K生を探したが、逮捕された人は拷問を受けても名前を明かさなかった。安江良介編集長にも脅迫と無言電話が続いた。一切報じられない韓国の市民の声や声明、ビラなどを収集したのは海外の宣教師らの国際ネットワークだった。運ばれた情報を基にT・K生が一晩で書きあげた「通信」は、まさにメディアのあるべき役割をはたした。 日本で安江編集長に出会った池先生は、「民主化運動にゲリラ的に参加」することを決意。「(韓国では)隣人が死んでいくのに芸術のための芸術、学問のための学問とは不道徳で非人間的である」と――。
崔善愛・『週刊金曜日』編集委員