「戦える喜びを力に」ドーピング違反で2年間の出場停止処分を受けた女子ボクサー濱本紗也が一度はあきらめたパリ五輪を目指して全日本選手権の復活リングへ
コロナ禍で練習環境が整っていなかったこともあり、濱本は大阪・寝屋川の実家に帰った。半年が過ぎ、1年が過ぎようとした頃に、東京に戻り、プロジムに通うようになったが、目標とする試合もなく、ただ黙々とトレーニングを続ける“暗闇”に気持ちは沈んだ。 「最初は絶対に戻ってやるという強い気持ちがあったんですが、1年を過ぎた頃だったか、すべてがマイナスに思えるようになって…もう辞めた方がいいのかなと」 引退が何度も頭をよぎった。 「本当に戻れるのかな。次の五輪に間に合うのかな。ボクシングは採点競技なので、ドーピング違反したことが、採点に影響しないのかな」 不安に押しつぶされそうになった。 その頃、保険会社と商社の2社から就職の内定をもらっていた。 「就職したらボクシングは辞めるつもりでした」 濱本はノートに人生設計を書き出した。 社会人になって2、3年後には責任のある立場となり、45歳までには、1500万円まで貯蓄を増やして第二の人生に舵を切る…。そんなことを書いたが、ページをめくり「今、自分がやりたいこと」を文字にしてみた。 そこに一番最初に出てきたのはボクシングだった。 「グローブをはめると、やっぱりボクシングがやりたくなるんです。ここで辞めたら後悔すると思いました」 ほどなく就職内定先に断りを入れた。 藤原トレーナーの紹介で、建築塗装関係の会社「イワサ・アンド・エムズ」の社員となり、同社のバックアップを受けて戦う環境も整った。この3月25日に競技会への復帰が解禁されると、練習はよりハードなものになった。朝6時から日大の朝練に参加。午前から午後は、イワサ・アンド・エムズで事務の仕事をして、夕方からは、WBA世界スーパーフライ級王者、井岡一翔の所属する志成ジムで練習、午後6時からは、日大の練習に再び合流するという3部練。試合出場が禁じられた約3年間に進化、成長があった。 「試合はなくモチベーションを保つことは難しかったんですが、逆に背負うものがなくなり、成績や結果を求めなくなったので、純粋にボクシングで強くなることを追求できるようになったんです。考えて練習ができるようにもなりました。前はスパーをしても課題が曖昧でしたが、1ラウンド、1ラウンド、細かくテーマを持ってできるようになったんです。ボクサーとしての能力は高まったと思います」 これまではストレートに頼るワンパターンの攻撃しかできなかったが、「前の手」と言われる左のパンチを多彩に操れるようになった。さらにステップワークが使えるようになったことも大きい。距離をつかみ、スパーリングの中では駆け引きもできるようになった。
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