松本サリン事件30年、原料の薬品からオウムの影捉えた当時の刑事…「なぜ若者が」今も謎
調べるとオウム関係者が薬品を手に入れるためのペーパーカンパニーと判明。サリン生成の出発物質となる「三塩化リン」の購入量は計180トンに及んでいた。県警内で秘密保持は徹底され、オウムのことは世田谷道場の最寄りの駅名から「山下」という隠語で話した。捜査を進めるとオウムと事件のつながりは確信に近づいた。4社の登記簿を分析すると、2社の代表取締役と、別の1社の営業担当に同じ男の名前。そんな工作も捜査を難航させた。薬品の購入自体は違法ではなく、拙速な強制捜査で証拠隠滅の恐れもあった。
翌95年3月20日、このうち1社の山梨県内の倉庫で県警捜査員が張り込み中、地下鉄サリン事件が起きた。「やられた」。オウムの関与を直感し胸が締め付けられた。6月には警視庁との合同捜査本部が発足し、7月16日に松本サリン事件の容疑者逮捕に至った。
サリンプラントの設計に関わった幹部の男は、オウムの「ワーク」として国立国会図書館で化学を独学したと語った。「プラントができたらサリンを70トン作ることになっていた」との供述には背筋が凍る思いがした。事件から30年。当時作り上げた捜査資料をひもときながら、上原さんは嘆く。「能力を違う方向に使えば良かったんだ。あの若者たちがなぜ事件を起こしたのか、今でも分からない」