ヨーロッパの「中世の物語」の登場人物たちが「死を恐れなかった」のは、なぜなのか? そのウラにある「意外な考え方」
なぜか死をおそれない
日本とは、いったいどんな国なのか。 日本社会が混乱しているように見えるなか、こうした問題について考える機会が増えているという人も多いかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ヨーロッパとの比較のなかで日本について知る、あるいはよりシンプルにヨーロッパ的な精神の歴史について知るうえで最適なのが、『西洋中世の罪と罰』(講談社学術文庫)という本です。著者は、西洋中世史の研究者で一橋大学の学長も務めた阿部謹也氏。 本書は、西洋の中世における死のイメージや、罪の意識などを通して、「西洋的精神」にわけいっていきます。 たとえば本書では、キリスト教的な世界観とは異なった考え方をもっているとみられる、中世(12~13世紀以降)のアイスランドで成立した物語「アイスランド・サガ」が紹介されます。 「アイスランドサガ」では、登場する人々が死を恐れない傾向にあるといいますが、それはいったいなぜなのか。阿部氏はこのような研究を紹介しています。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈「アイスランド・サガ」に登場する人びとがなぜ死を恐れないのかという問題については、グレンベックの他、M・I・ステブリン=カーメンスキイ〔一九〇三~一九八一。ロシアの古ゲルマン語・文学者〕が時間論との関係を指摘している。 サガの主題は私闘(Feud, Fehde)であるが、私闘には多くの人びとが関わり、ときには小さな子どもが関わることもある。それは血縁関係の絆の連鎖のなかで行われ、家の系譜の枠のなかで営まれる。 すべての私闘を動かしているのは復讐の動機であったが、すべての私闘は、過去から現在へそして未来へと繫がっていくリレー競技のようなものであったから、死が近づくと人間は、自分の死後に自分に相応しい人命金が支払われるのかどうかをむしろ心配しているのである。 このような人間関係は、運命信仰によって結ばれているともいえる。運命信仰は未来もある種の現実性をもっており、現在のなかに存在しているということを含んでいるという。 つまり運命への信仰は、時間が変化しないものであって、いわば時間の空間化ともいうべき考え方に基づいており、ちょうど遠い場所も近い場所も一定で変化していないように、遠い時間も近い時間も過去も未来も変ることなく同一だという考え方に基づいているというのである。〉 〈すでにみたように、サガにみられる死後の世界・死者の国の描写は不鮮明で矛盾にみちている。これはカーメンスキイによれば、異なった時代の観念が重なっているためだという。もちろんサガにも死への嫌悪感は描かれている。 しかしはっきりしていることは、キリスト教が説くような地獄の苦しみに由来する死への恐怖はまったくみられず、そのかぎりでサガにはキリスト教の影響はほとんどないといってよいだろう。〉 現代とは大きく異なる時間への感覚は、私たちがいまもっている考え方や認識のしかたを相対化する視点を与えてくれそうです。 * さらに【つづき】「亡者・亡霊は消えていく…ヨーロッパの「古い信仰」が「キリスト教」にとって変わられたときに起きたこと」の記事では、上で紹介したような「古い時代の信仰」を、キリスト教が駆逐していくときになにが起きたのかを紹介します。
学術文庫&選書メチエ編集部