ニッチだが奥深い「映像伝送」の歴史 コンピュータ・グラフィックスからIP伝送まで
ノンリニアシステムとCG出力
ノンリニア編集システムの第1世代は、89年に発売されたAvidの「Avid/1」である。当時のMacintosh IIの筐体に専用I/Oボードを入れて映像の入出力を可能にしたシステムだ。90年ごろには日本にも導入されたが、アナログのI/Oしかなく、テレビ放送としては画質に課題があった。よってオンラインでは使われず、もっぱら仮編集を行うオフライン編集に使われた。 むしろノンリニアビデオ編集を語る上では、95年に登場したIEEE 1394の存在が大きい。この規格はFireWire、i.LINK、DV端子という形で広く普及した。コンピュータ側にIEEE 1394インタフェースカードを挿し、簡単なコントロールソフトウェアがあれば、コンシューマー用デジタルビデオカメラ(DVカメラ)から完全フルデジタルでキャプチャーと書き込みができた。さらにコンピュータ側からタイムコードを指定して、テープ走行もコントロールできた。 当時の放送用編集システムは、映像・音声系の結線と、編集機からテープデッキを操作するコントロール系の結線は、完全に別系統になっていた。それがコンシューマーでは、ケーブル1本で映像・音声・コントロール系が伝送できていたわけである。当時この点においては、プロ用のシステムを超えていた。 これをきっかけにコンピュータ業界から映像業界に転身したのが、当時のカノープスである。もともとはPC向けグラフィックスカードで知られていたが、IEEE 1394のDV編集システムを次々とリリース、これがGrassValleyに買収され、EDIUSやデジタルレコーダー製品などにつながっていった。 デジタルレコーダーについては、別の流れがある。安価なCGの書き出しにはスキャンレートコンバーターが有効であったが、93年にカナダのDPS(Digital Prosessing Systems)社がAMIGA向けにPersonal Animation Recorder(PAR)を開発したことは大きかった。 これは独自I/O基盤にHDDを直結し、そこにCGの連番ファイルを登録すると、内部で4:2:2のD1フォーマットへ変換され、ボード背面の端子からリアルタイムで動画再生が可能であった。出力はアナログコンポジット、S-VHS、アナログコンポーネントに対応したことから、ベータカムと組み合わせて長尺のCGでもビデオ書き出しが可能になった。 CG書き出しという点では、ハイエンドでは数千万円かけて30秒程度の記録しかできないメモリレコーダーがある一方で、業務レベルでは数十万円で1時間以上D1記録できる「PAR」があるという状態となった。 ただ不幸なことに94年にはAMIGAが倒産してしまい、AMIGAを中心としたCGの世界も徐々に終息へ向かっていった。放送の歴史から見れば、有名なNewTekの「Video Toaster」よりも、DPSの「PAR」のほうがインパクトが大きい。 コンピュータとビデオ映像の関係は、映像の受け渡しがテープであった時代と、ファイル転送で済むようになった時代とで全く考え方が変わる。テープからの取り込みや書き出しは非常に高コストなので、放送局とその周辺現場ではあまり成長しなかった。00年になるとデジタルハイビジョンが登場し、ハードルが上がった事で、しばらくはコンピュータで映像を扱うことが難しくなった。 やがてコンピュータの性能がデジタルハイビジョンに追い付く頃には、テープ記録ではなくデジタルメディアやネットワーク伝送の時代になっていた。