90歳の田原総一朗氏「今の若者は空気を読み過ぎる」
この4月15日で僕は90歳になった。多くの方に温かい祝福の言葉をいただき、ありがたいことだと感じている。誰よりも僕自身が、この年齢まで生きていること、まだ現役で仕事ができていることに驚いている。 【関連画像】田原総一朗氏の著書『全身ジャーナリスト』 これに合わせて、自伝的著書の新書『全身ジャーナリスト』を出版した。これまでも何冊か自伝的著書は出したが、今回は仕事仲間である倉重篤郎氏(毎日新聞客員編集委員)に構成をお任せし、一味違うものにできたと自負している。僕だけでなく、僕を知る多くの方々の田原総一朗評も載せているので、これまでにない著作になったと思う。 90歳になった僕の人生を少し振り返ってみたい。 もともとは文学青年で作家志望だった僕がその道を断念したのは、同世代に石原慎太郎、大江健三郎という圧倒的な才能が出てきて、とてもかなわないと痛感したからだ。ではその後、なぜ、ジャーナリストの道へ進んだのか、と言えば、世の中の価値観がひっくり返る経験を2度もしていることが大きい。 僕は戦時の日本を知っている最後の世代に属する。小学生の頃、学校の教師も、この戦争は、欧米の植民地となった国々を解放する正義の戦いだという論旨で語り、それを僕は素直に信じていた。典型的な軍国少年だったのだ。ところが1945年8月に終戦となり、2学期に学校へ登校すると、同じ先生が、日本がしたのは侵略戦争だ、戦争は悪だから絶対にしてはいけない、と180度逆のことを言い出した。 その後、朝鮮戦争が始まったとき、高校生だった僕は、平和が大切だ、戦争反対、と言ったら、今度は教師に「お前はいつから共産主義者になったんだ」とどやされたものだ。後から考えてみれば、米国の対日政策が大きく転換した時期である。 なぜ、価値観はかくも大きく転換するのか。偉い人の言うことは信用できないという思いとともに、その理由を知りたい、自分の目で一次情報を確かめたい、という気持ちが生まれた。それがジャーナリストという職業を選ぶことにつながった。 ジャーナリストとなってからは活字媒体、テレビの両方を舞台に、「なぜ」を追求し続けてきた。「なぜ」はジャーナリストにとって、最も本質的な問いだと思うからだ。 僕は頭の良い人間ではない。それどころか、あるテレビ関係者に言わせれば、僕は「もの分かりが悪い」らしい。だが逆にそれを武器にしてきたとも言える。頭の良い人は一見当たり前のことを尋ねたがらない。分からなくても、分かったふりをしてしまうこともある。僕は資料にはしっかり目を通すが、分からないことにはその場で「なぜ」を連発する。 そうやってとことん尋ねていくと、面白いことに、官僚でも、総理大臣でも怒ることはない。権力者は普段、周囲から持ち上げられているため新鮮なのか、むしろ信用してくれる。僕を嫌う人、批判する人に対しても僕は、「なぜそんなことを言うのか」と理由を知りたい気持ちが先に立つ。そうしているうちに仲良くなることもある。