【特集 ザ・作州人】 「あいしあってるかい?」 サウンドクリエーター取締役・中原裕志さん
一方、仕事は多岐にわたり、外タレや大物アーティストのアテンド役もこなした。「常にハンバーガー20個用意」「夜中3時に、たこ焼き食べたい」「ラーメン用意しろ」「カニはないの?」と言ったわがままな要求に右往左往したことも。またザ・ブルーハーツのライブでは会場のあまりの揺れに地震騒ぎになったこともある。
そのザ・ブルーハーツ(現ザ・クロマニヨンズ)のボーカル、甲本ヒロトさんとは同じ岡山出身ということで記憶の中では高校時代から面識があり、40年来の旧友。「チャッピー」「ヒロト君」と呼び合う間柄だ。「たぶん、初めて会ったのは津山の吉田楽器」
もちろん、音楽への情熱は衰え知らずだ。清志郎さんが亡くなった直後はロス状態が続いたそうだが、15年には清志郎さんのライブアルバムにちなんだ新会社「ハッピーヘッズミュージック」を東京・世田谷区に立ち上げ、コンサートツアーをプロデュースする側に。名刺の裏には「あいしあってるかい」と書かれていた。
「会社を立ち上げたのはより震源に近づきたいと思ったから。最近は2組の若手ロックバンドのマネジメントもし、先行投資もしています。こんな3つのことをしている人は珍しいでしょうね。いまは大阪、東京、ツアー生活がそれぞれ月3分の1ずつという感じです」
昨年12月には津山文化センターでBEGINのコンサートを津山の仲間とともに仕掛け、大成功を収めた。開催した背景には姉妹都市を結んでいる宮古島市との真の交流を深めたい思いと、温かく見守ってくれた父で中学校の教師だった耕治さんへの感謝の気持ちがあったそうで、耕治さんはその後静かに息を引き取った。
「音楽は人を支えるし、人生を変えることができる。B’zの稲葉さんもいるし、津山を音楽で変えられないか。帰省する度に残念な気持ちになりますからね。沼の球場から鶴山通りを通って津山駅を結ぶコースでイベントを仕掛け、定着させる。人生の第4コーナーを回りましたが、僕のゴールは年々遠くなっている感じです」