限界集落の宝を城端別院へ 南砺・綱掛 本尊、3戸で守るも限界 土砂崩れで戦後損壊、御堂で保存
●「やっぱりさみしい」 南砺市山あいの綱掛(つなかけ)集落の「綱掛御堂」で2日、住民が守ってきた本尊を、市内の真宗大谷派・城端別院善徳寺に移す「お別れ勤行」が営まれた。約70年前、土砂崩れで集落にあった旧善性寺が流されて住職ら5人が亡くなった後、御堂を建て、掘り起こした本尊を安置していたが、集落の全住民3人が80代の「限界集落」となり、管理が難しくなった。閉山法要に参列した門信徒は「やっぱりさみしい。涙が出てくる」と語り、手を合わせた。 【写真】本尊を移す閉山法要を営む僧侶と住民=南砺市綱掛の綱掛御堂 綱掛集落は富山、石川県境に近く、住民は現在3世帯、計3人。法要には僧侶8人や地域外に住む親族らを含め約30人が参列した。勤行後、参列者が手分けして本尊や宝物を運び出し、車に乗せて善徳寺に移した。住民の山﨑つる子さん(86)は「寂しいけど、私らだけで、どうもならんがいね」と無念そうに語り、本尊に手を合わせた。 集落出身で福光市街地の荒木から綱掛に通う山﨑邦雄区長(82)によると、1985(昭和60)年ごろまでは、住民が毎日、本尊にお供えをしていた。近年は7月に仏具を磨いていたが、住民から「お守りしがたい」とこの先を案じる声が出ていた。山﨑区長は「綱掛は雪も深く、まさに限界集落。先を思えば安心であり、これからは城端別院に通い、手を合わせたい」と語った。 善徳寺ではこの日、本尊到着から間もなく「お迎え法要」が営まれた。親鸞聖人や蓮如上人、聖徳太子の画像を描いた掛け軸や、蓮如上人直筆と伝わる書軸「六字名号」などの宝物も運び込まれた。 同寺は宝物群を公開する来年の「虫干法会(むしぼしほうえ)」で、門信徒らに宝物を紹介する特別展示を行う予定。 閉山法要で導師を務めた鳥越知証さん(真宗大谷派富山教区第3組福光小会長)は高齢者のみで長年にわたって本尊を守り、放置せず、善徳寺に移すと決めたことに敬意を示し「長年、お参りを続けた地元の方への感謝の思いも込め、お勤めをしました」と話した。 ★南砺市綱掛・旧善性寺 1953(昭和28)年9月25日、台風の暴風雨の影響で山が崩れて土砂に巻き込まれた。当時、約200人が救助に当たったが、綱村静信住職ら一家5人が亡くなった。本堂は1カ月前の8月31日に再建されたばかりだった。住民が土砂の中から本尊や掛け軸などの寺宝、木材を掘り出し、寺の跡地近くに御堂を建立した。