「ホラーランドを作りたかった」…漫画家・楳図かずおさん追悼 本誌に見せた本気の「恐怖まんが顔」
『恐怖まんが』のパイオニア
漫画家の楳図かずおさんが10月28日に亡くなっていたことがわかった。死因は胃がん。享年88だった。葬儀はすでに済ませており、後日、お別れの会を開くという。 【まことちゃんと】すごい!まことちゃんとツーショットの楳図かずおさん 「楳図さんは1961年、25歳の時に貸本で『恐怖マンガ』という言葉を作ったことで知られています。1966年に『週刊少女フレンド』(講談社)に連載した『ねこ目の少女』や『へび女』などがヒットし、“ホラー漫画”の第一人者と言われるようになったのです。1972年から『週刊少年サンデー』(小学館)で連載開始した『漂流教室』で評価を不動のものにしました。 1976年から連載開始した『まことちゃん』(『週刊少年サンデー』小学館)でギャグ漫画にも進出。主人公・まことちゃんの『グワシ!』というセリフとポーズも社会現象となりました」(漫画編集者) 本誌FRIDAYは、’23年10月7日に若者の街である東京・原宿で楳図さんの姿を目撃している。当時、来日中だったカナダ出身の世界的DJ“デッドマウス”こと、ジョエル・ジマーマンがポップアップストアを開いていた。そこにゲストとして招かれた楳図さんは、グッズ購入者と写真撮影をしたり、デッドマウスと一緒に“グワシ”型のオブジェでデモンストレーションを行ったりしていた。店の外でもサインを求めるファンに囲まれ、一緒にグワシポーズを決めたりと元気な姿を見せていた。 近年は、若者ブランドとのコラボ商品を企画したり、’22年には六本木ヒルズで『楳図かずお大美術展』が開かれるなどしてポップカルチャーの分野にも人気の幅が広がっていただけに、その悲しみは漫画ファンだけでなく、ファッション関係者や多くの若者にも広がっている。 ◆「“美しさ”と“醜さ”が同居する世界」 その活躍は漫画家だけにとどまらず、映画やバラエティ番組に出演し、歌手としてアルバムを出すなどマルチタレントとしても活躍していた楳図さんだったが、FRIDAYに初めて登場したのは、1993年6月のことだった。この年、東京・後楽園ゆうえんちに期間限定で自ら演出、衣装、音楽、美術の総てを手掛けたお化け屋敷『パノラマ怪奇館』を作ったのだ。 「『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で連載されていた恐怖漫画『14歳』のキャラクターのチキン・ジョージ博士や、往年の名作『赤んぼ少女』(『週刊少女フレンド』講談社)の主人公タマミちゃんといったキャラクターが生身で登場するというお化け屋敷です。機械仕掛けが当たり前だった時代にかなり画期的だったと思います」(娯楽誌ライター) このお化け屋敷を手掛けた理由について、楳図さんは、 「昔からディズニーランドならぬホラーランドを作りたいと思っていたんです。“美しさ”と“醜さ”両極面が同居する世界ができあがりました。全部見終わるのに5~7分かかりますが、皆さん最後はやめてくれ~っと言うでしょう」 と自信たっぷりだった。写真撮影では、『恐怖まんが』などでお馴染みの恐怖で震え上がる表情を見せてくれた楳図さん。泉下でも、きっと周りの”お化けたち”までも恐怖で震え上がらせているに違いない。ご冥福をお祈りいたします。
FRIDAYデジタル