いつの間に複数のことが考えられなくなった大藪春彦賞作家…それでも頭に文章が浮かんでくる小説家としての癖(へき)【「鶯谷」第十九話#1】
勃起不全と性欲
もうひとつ質問があったのだが、どうせまともな答えは得られないだろうと諦めた。 以前あるキャストに指摘されたことがあった。 安定剤についてである。 「それを連用すると性欲がなくなるみたいですよ。断言はできませんが、こちらの業界ではそういわれています」 (勃起不全に加えて性欲までなくなってしまのか! ) 焦った。 性欲があるからこそ、鶯谷通いができているのだ。 (それがなくなるとどうすれば良いのだ! ) 私の生き甲斐は鶯谷に通うしかないのだ。 キャストの身体に触れることにしか愉悦を覚えない老人なのだ。 それがなくなってしまえば、なにを支えに生きていけばいいのだ。 生活習慣の見直しは他にも行った。 私は午前五時に亀戸の自宅を出て、始発電車で浅草の仕事場に通うことを日課にしている。 亀戸から浅草までの通勤定期を買った。 一か月定期だ。 ほんとうは半年定期にしたかったのであるが、その時点での所持金では一か月定期を購入するのがやっとであった。 そうこうしているうちに気付いたことがあった。 知らぬ間に私は、複数のことを考えることができなくなっていることに気が付いた。 以前であれば、認知症にならぬよう、出来得る限り、どんなことでも思い出すようにしていたのであるが、それが混乱に繋がっていると気付いたのだ。 その日為すべきことだけをひとつに絞って決め、それ以外は考えないようにした。
出版不況と被害妄想
もちろんそれ以外でも考えなければならないことがある。 むしろそれは考えるというより、自ら頭に浮かんでくることなのであるが、こればかりは止めることはできない。 それは書きたいものが浮かんでくるという小説家としての癖(へき)である。 文章が、あるいは情景が、浮かんできて止まらないのだ。 今は出版不況に呑み込まれてあたふたとしているが、小説そのものを諦めたわけではない。 小説家であることを諦めるならば、解放感が得られるであろうが、同時に失うであろうものが大き過ぎる。 絶対に許されることではなく、自身のアイデンティティそのものを自ら否定することになるのだ。 62歳でデビューし、四苦八苦しながらここまで築き上げたポジションをどうして棄てられるというのだ! ポジション? 冷笑される読者諸氏の顔が目に浮かぶが、私の連作短編をお待ち頂いている担当編集者さんもおられるのである。 連作短編は第三話まで納品済みだ。 原稿用紙換算にして60枚余りの連作短編第四話の締め切りは9月末だ。 以降、隔月刊であるが、11月、1月、3月と締め切りは決まっている。 版元さんも本が売れずに苦しいなか、それはその文芸誌に掲載が決まっている作家の皆さんも同様であろうが、それを押して、掲載予定をお組頂いたのである。 その善意に私は応えるべきであろう。 他にもある。 ある担当者さんは、 「赤松さんの生活が落ち着くまで、書下ろし長編の納期を無制限に延長してお待ちします」 と、いって下さった。 リップサービスとは思わない。 けっしてその場限りの甘言ではなく、真な言葉だと受け取っている。 (溺れるものは藁にもすがるか) 被害妄想かも知れないが、ここでも読者諸氏の冷笑が聞こえそうだ。 後編記事【週刊誌連載2本で慢心した大藪春彦賞作家がハマった「落とし穴」…そして作家は当てもなく階段を昇り続ける】に続く シニア世代の暴走恋愛小説『隅田川心中』が待望の文庫化!
赤松 利市(作家)
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