「ウルトラマンガイア」放送25年 前作の“女の子走り”のせいで…ボルト入りの足で坂道疾走!“高山我夢”が明かす秘話
始まりは早稲田の食堂から
出演当時の資料は今も大切に保管している。各話の台本はもちろん、譲り受けた小道具、まだ「ウルトラマン98」と仮題で銘打たれた企画書や、出演者の名前や出番の時刻、衣装などが記された「香盤表」まで保存しているほどだ。特に、当時ファクスで送られてきていた香盤表は、関係者の中でも保存している人は少数派だろう。表を見ると、ガイアのクランクインは1998年7月3日、東京・早稲田の食堂だったとある。我夢が友人らと学食で昼食を取っているシーンだ。 「ティガ」でサード助監督、「ダイナ」でセカンド助監督を務めていた八木監督は、 「ガイア」でチーフ助監督となり、49話で監督デビューを果たした。「ガイア」のクランクイン時点は、まだ終了していなかった「ダイナ」にかかり切りだった。たまたまポスプロ(映像の仕上げ作業)をしていた場所が近かったため、「ガイア」のクランクインに立ち会ったという。 「村石(宏實)監督に『お、来たな』といわれまして。当時の村石監督は独特のだみ声でバリバリに怖いときでしたから。食堂のシーンから外に出て歩いてくるシーンまでを手伝いました」
ヒーローの登竜門
平成ウルトラマン以降の特撮作品は、多くの人気俳優を輩出したことで、「若手の登竜門」として位置づけられてきた。こうした流れを作ったのはウルトラマンティガ、ダイナ、ガイアの3作だったと八木監督は指摘する。 「(『ティガ』のマドカ・ダイゴ役の)長野博さんは、もうV6のメンバーとして活躍していましたが、この3作をきっかけに主人公役の俳優が広く認知され、人気が出るといった流れが生まれました。その意味では、今に続く日本の特撮ヒーロー文化の嚆矢だったのがティガ、ダイナ、ガイアでした」 19歳の吉岡は、シリーズの主演としては当時、歴代最年少だった(後に『ギンガ』根岸拓哉や『ジード』濱田龍臣に破られる)。さらに歴代最低身長の170cmでもある。 役柄も、量子物理学を大学で研究する科学者で、世界で同時多発的に誕生した天才児によるネットワーク「アルケミー・スターズ」に属するという異色の設定だった。「スポーツテスト、関係ないじゃん!」と思ったことも一度や二度ではなかったという。 「量子物理学の本も買ったんです。でも読んだところで覚えられるわけないじゃないですか(苦笑)。学級委員長だった昔の友達のことを想像して演じようとも考えましたが、何か我夢とは違う。まっすぐで熱血で頑固で、というところが自分と似ているから、そこを役作りに盛り込んでいきました。難しいセリフは喋っていますけど、そこまで意味は理解していなくても大丈夫だと思った。知らない人にも難しい言葉で喋っちゃう、頭のいい人っているじゃないですか。そんな感覚で、難しい用語は“記号”として口に出していましたね。メカ開発のシーンも、ドライバーでプラモデルを作っているような感覚で……」 2話ずつ届く台本を見ながら役作りを進めていった。劇中でライバルとなり、後に共闘したウルトラマンアグル=藤宮博也を演じた高野八誠とも、心を通わせながら作品を作りあげた。 *** 歴史あるシリーズの主人公に選ばれた吉岡。第2回【初の“ライバル”起用に大所帯の防衛チーム…革新的だった「ウルトラマンガイア」はなぜ今もファンを惹きつけるのか】では、2大ウルトラマンが敵対し共闘したストーリーを自身に重ねた思い出を語っている。
デイリー新潮編集部
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